容量の問題
2005年 06月 23日
たいしたこともしないうちに一日が終わる。(それなりにやっているのだが、成果が出ない)。
一人の人間が一生に出来ることについて、このごろよく思う。文学史や文化史に残るような創作者は、悪戦苦闘しながら、自分はダメだダメだと思いつつ、やむにやまれぬ「内的衝動」に突き動かされるようにして、死ぬまで創り続けたのだろう。
結果として「見事」な作品が残ったが、創るプロセスは苦渋に満ちていたにちがいない。苦渋の大きさ、深さが、作品の彫りの深さに比例する……といってもいいのかもしれない。
その伝でいくと、ぼくなどまだ甘く苦渋が足りない。かといって、これ以上の苦渋を体験すると、ますます睡眠不足になってしまう。やはり「容量」の問題か。
考えてみると、この八月でフリーになって25年。文筆一筋でよくやってきたものだ。