エネルギーの枯渇の先にあるもの
2005年 07月 02日
チバリヨの切符の「販売促進」のため北浦和まで行く。準備不足の状態でスタートしたのでいろいろと大変だ。脚本と演出担当は、内容にタッチしていればよく、その他のことは他の人に……というのが一般だが。
ぼくが出て行くことで一枚でも多く切符が売れるのなら、時間の都合のつく限り協力したい。
このブログをお読みになっている奇特な方、ハンセン病ミュージック・ドラマ「チバリヨ」をぜひ見にいらしてください。
7月22日(金)。18時半開演。場所は、あの「さいたま芸術劇場」。埼京線、与野本町駅から徒歩7分ほどのところにある劇場で、設備も整い、音響もよく、恐らく東京圏で1,2を争う劇場だと思います。そこの大ホールで上演します。
内容は以前のものを大幅に改稿し、ドラマ部分をふやし、構成もすっきりさせたので、「感動の舞台」になること、請け合います。
近々ホームページにチラシなどをアップしますので、よろしくお願いします。
それにしても以前はよくあった「遊び」への誘いの連絡が、最近、ほとんどなくなった。周りもみんな年をとって、出歩く気力が萎えてきたことが一因なのだろう。それと、はやり景気があまりよろしくない。
一部の企業や公務員、IT産業関係者は潤っているようだが、周囲を見回しても、7割から8割は、経済状況が悪くなっている。当然、小遣いも減り、遊びや趣味に費やすエネルギーが減っているという印象だ。
だいいち飲みにいかなくなった。温泉旅行などにもいかなくなった。以前は事あれば集まって飲んだり食ったりして議論などしたものだが、特に中高年にそんなエネルギーがなくなっている。
要するに、みんな縮こまって生きているのである。そこから思索的なものが生まれればいいのだが、エネルギーの枯渇が、感性の鈍化につながり、文化的にも貧困になっていく方向に流れているような気がしてならない。
ここはやはり若い人に期待するしかないが、若者もかつての若者のようなエネルギーがない。
少子化がますます進むことを考えると、エネルギーの衰退減少は当分つづくのだろう。その先に何があるのか。あまり「見たくない」世界が、この先展開していくような気がしてならない。
他人はともかく、ぼく個人は年齢など考えず精一杯エネルギーを発散させ、「作品」として結実させていきたいと思うのだが。
寄る年波なのか、やや疲労気味。梅雨の鬱陶しい天候のせいにしておこう。