不眠の効用
2004年 09月 22日
15時半、新宿京王プラザホテルの「樹林」で、映画の打ち合わせ。といってもまだ企画の段階で、今後どういう展開になるか。原作、監督、主演女優は決まっており、実現すればぼくがシナリオを書くことになるはずだが。この役は誰それ、この役はあの人に……とそれぞれが思っている「希望」を話すときが、一番楽しいときかもしれない。2時間ほどが瞬く間に過ぎた。まずは実現にむけての第一歩。
朝の5時、6時まで起きていることがしばしばで、そんなときは、なかなか眠れないので、睡眠薬を飲む。子供のときから「不眠症」気味で、ぼくは自分の「宿痾(しゅくあ)」であると思っている。目下、ほかはどこも悪くはないのだが、これだけは治らない。
普通に眠れたら、おそらくぼくは違う道を歩いていただろう。明日が試験とか重要な会合、打ち合わせがあるとなると、気持ちが冴えてしまって、なかなか眠れない。受験のとき、英語の試験で突然、睡魔に襲われ、困惑したことがある。もちろん、前夜ほとんど眠れなかったからなのだが、あのときもし睡魔に襲われなかったら、合格していたかもしれず、その後の自分の人生は大きくかわっていたはずだ。
不眠による注意力散漫で、これまでどれほどミスを犯してきたか。主に不眠が原因で、今でも週のうち三日ほどは「時差ボケ」状態であり、そんなとき書いた原稿は誤字脱字も多い。以前、あるプロデューサーに「香取さんは出来不出来の波がある」といわれたが、不眠からくる時差ボケが主な原因のはずだ。
不眠症などとは無縁の人が、羨ましく、かつ憎らしい。
日本人一般の通弊として、睡眠薬を飲むことはなにか悪いことのように感じている人がまだまだ多い。あれほど不眠に悩んだぼくが睡眠薬をはじめて利用したのは、15年ほど前のことである。それまでは眠るためにアルコールを飲んでいた。これがじつは、睡眠不足をもたらす元凶だったようである。アルコールの力で比較的容易に眠りにつくものの2,3時間で目がさめてしまい、以後眠れなくなる。アルコールには、そういう作用があると医師から聞いてた。 以後、アルコールに頼ることをやめたのだが、どうしてもっと早くこれに気がつかなかったのか。気がついていれば、過去に犯した数々のミスも半減していたであろうに。
ただ、睡眠薬を飲めばいいというものでもない。以前、アメリカにいってドラッグストアでいろいろな睡眠薬を買いこみ、服用するうち、一種の「中毒」症状にかかってしまったこともある。常用していると、薬の常でだんだん効かなくなって量が増える。すると肝臓にも負担をかけるし、夕方、突然、ものすごい睡魔に襲われることもある。心臓にも悪いようで、医者にいき睡眠薬を処方してもらうことにした。
しかし、一般の開業医や内科の医者だと、どうもおざなりで、自分の体質とあわない。診療もせず、受付で頼むと自動的にだしてくれた医院もある。副作用もそれなりに強く、昼間、呂律がまわりにくくなったり、知らない人には、「いい加減なやつだ」とか「昼間から酒を飲んでいる」などといわれたりした……。
数年前、若林の神津クリニックにいき、睡眠薬では比較的軽いレンドルミンを処方されてから、副作用もなく、今はこれを飲んでいる。といっても、毎日飲んでいるわけではなく、根をつめて仕事をしたときとか、朝まで起きていて眠るときなど。時間の効率化のためにも、レンドルミンは欠かせない。
引っ越しをしたあと、神津クリニックが少々遠くなったので、一時、三軒茶屋病院にいったことがあるが、レンドルミンまがいのへんな薬をだされ、口のなかが苦くなるとともに、頭が昼間でもぼーっとすることが多く、やめた。行くたびに医者がかわり、ぼくのような「軽症」の患者には、どうもおざなり……といった印象を払拭できなかった。
再び神津クリニックにいくようになって、今はなんの副作用もない。日本人の5人に1人は不眠症とか、なにかの記事にでていた。アメリカはもっと比率が高く、不眠とどう向き合うかは、現代人にとって大きな問題である。横になればすぐ眠れる人には、理解できないかもしれない。
ただ、不眠症がマイナス面ばかりかというと、そうでもないところが、人生の面白いところである。ぼくなど、不眠のおかげで、いろいろとミスも犯したものの、どれほど多くの本を寝床で読み、どれほど多くの妄想をたくましゅうしたことか。それらは、フィクションを書く上で、かなり役だっている。一日を思い返し、ああでもない、こうでもない……と思い悩み、こう有りたい自分、こうあって欲しい自分などを、さまざまに思い描く作業は、そのまま創作の作業につながるものだ。
勤めている時期、眠れないので、夜中に起きて原稿に向かったことなど、しばしばだった。おかげで、勤め先にいったときは疲れきって、居眠りをしたりミスをしたり。「いい加減なヤツだ」と思われていたにちがいない。たしかに注意力が散漫になるので、いい加減になってしまい、そのためにも一日でも早く作家という自由業になろうと、それなりの努力はした。
不眠症であったからこそ、おかげさまで、作家になれた、といってもいいかもしれない。
世の中、プラスだけのことがないのと同様、マイナスだけのこともない。光があれば影があり、逆に影があれば光がある。マイナスのカードをあつめると、強力な手になるトランプ遊びのように、状況が逆転する。さらにまた逆転、そして逆転。これがなくてはゲームは面白くない。人生航路というゲームも同じである。