往年の名門企業の失墜
2005年 07月 29日
鐘紡の社長など幹部が粉飾決算の罪で逮捕された。本当は大赤字なのに「全従業員のため」などといって小手先のごまかしをやろうとしたのだろう。このところ、往年の名門大企業が不祥事に揺れたり、赤字決算をだし、どうも冴えない。
鐘紡や東洋レーヨンといったら、ぼくの学生のころ、大学生のはいりたい企業のトップにあった会社である。東洋レーヨンなど当時としては破格の3万円という高給で、多くの学生が志望ナンバー1にあげていた。テレビ局などそれほど高位にはなかった。
鐘紡や今年赤字決算をだしこのところ冴えない日本航空なども、人気企業であった。それが不祥事に見舞われ、会社の危急存亡の危機に瀕している。世の中は常ならず、つまり「無常」であるのだが、最近とみにその傾向が強まり早まっているという気がする。
今は繁栄を謳歌しているテレビ局なども早晩、危機に瀕するに違いない。良いことか悪いことかはわからないが、激変の源になっているのはインターネットである。願わくば「個人」が「個人の意見」を自由に表明でき、本当の意味での民が主人公の「民主主義社会」になってもらいたい。
最近、知り合いがインターネット関連の会社を企業した。登記料などふくめて設立資金は30万以下である。来年4月、会社法が改正され、株式会社の設立資金はゼロでもいいようになるということだ。
自由主義市場経済のもたらした「明」の部分なのだろう。これまでは会社を興すには、相当額の資金が必要であったから、個人が気軽に起業できるはずもなかった。
今は才覚とやる気さえあれば、誰でもが起業できるし、ぼくも起業してみたい気分にもなる。
ただ、起業して金を儲けるのはいいが、結果として貧富の差が極大化するのは困る。自由主義市場経済の「暗」の部分である。
ところで、今国家で焦点となっている郵政民営化法案、どこが利点なのかさっぱりわからない。かといって、今のままでいいはずもない。
あらゆることが、過渡期にさしかかっている。過渡期を乗り越えたとき、どういう社会が眼前にひろがっているのだろう。