異常気象の行く末
2004年 09月 22日
東京は今日も真夏日。単なる自然の気候変動とはちがうものを感じてしまう。
昨日、テレビで新橋周辺の気温が以前と比べ数度上昇していると報じていた。学者のコメントでは、東京湾ぞいにたてられた高層ビル群が海風をさえぎることに加え、ビルそのものが熱の放射源になっていて気温の上昇をもたらしているのだという。
深刻に考えている人は少ないようだが、アメリカのペンタゴン文書でも温暖化の影響はテロより深刻……と指摘している。
有限の地下資源を大量に消費する文明をこのまま続けていけば、どういうことになるのか。
急増する人口を考えると、行く手には恐ろしい事態がまちかまえており、心ある科学者などはしきりに警告を発している。しかし、大きな世論となっていかない。
世の動きに大きな影響力をおよぼす政官財の人たちが、そもそも我が身のこととして真剣に考えていないのである。真剣に考えているとしたら、彼らの中で一人ぐらい徒歩、あるいは自転車で国会や会社にやってくる人がいていいのに。
昔、国鉄の総裁であった石田礼助は、ハイヤーなどに乗らず、湘南電車で通勤していた。政府臨調で大きな役割をはたした土光敏夫も、目ざしの朝食に象徴されるように、質素な生活ぶりであったときく。現在の政官財のリーダーで、石田礼助や土光敏夫に恥じない行動を自ら実践している人は果たして何人いるだろうか。
まるで年中行事のように繰り返される「汚職」や「不祥事」。リーダー層のなかに、下の者に範をしめそうとする人間が少なさ過ぎるのである。驕り、慢心、傲慢……といった形容詞があてはまる人ばかりで、それが特権であると思っている人もいるようだ。
リーダーとは、そういう驕慢さをより強くもった人……といいたくなる。「下は上を見習う」のは世の常である。上を見習わない部下は排除されがちだ。かくて、「ミニ・金正日」「ミニ・ミニ・金正日」がいろんなところにはびこって、世の中を住みにくくさせている。
環境の劣化のあとに、いずれやってくるのは、食料難である。すでに食料を自給自足できる国は急速に減ってきており、一方で人口は急増し、資源を大量消費する文化がはびこっている……。
この果てになにがあるか、小学生でもわかる。先進国の人間が傲慢さをあらため、危機を自覚し、文明のシステムを変える努力をすれば、まだ引き返せるのだが……。
しかし、彼らこそ「便利さ」「快適さ」になれきった人間である。そう簡単にこのシステムを手放しはしない。
「公害」が問題となったときのように、環境が劣化し、いきつくところへいかないと、多くの人は動かないのだろう。異常気象は世界的規模で起きており、「公害」問題のときのように、短期間で解決することはむずかしい。釜の水にはいったカエルは、じょじょに熱せられると、熱くなったことに気づかず、たまらなくなって飛びだそうとしたときには、すでに茹でられてしまっているという。
同じようなことが、今、地球規模で起こっているのだが、それにしては、ぼくもふくめて、みんな暢気なものである。このままで文明が50年、100年続いたら、お慰みである。