コラム


by katorishu
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ありがちな感情の齟齬(そご)

 8月26日(金)
 日本放送作家協会の理事会。ある問題をめぐって少々紛糾した。人と人との関係は複雑微妙でむずかしいもの。なにかのイベントをやったりすると、ちょっとした見解の違いが増幅され、思わぬ齟齬をきたしてしまう。
 途中で席を辞し、文藝春秋社へ。「北京幽閉5年3ヶ月」という特異な体験をもつ鈴木さんと編集のS氏をまじえ、打ち合わせ。終わって近くの蕎麦割烹で4時間半にわたり日中関係を中心に意見交換。
 ぼくと鈴木さんの「共作」で文春で出版することになる。鈴木さんにとって「ライフワーク」とのことだが、「異文化摩擦」をテーマにしているぼくにとっても同様である。
 今後どこかで「合宿」をして鈴木さんの体験をさらに詳細に聞かせてもらうと同時に、戦前、戦中、戦後の鈴木さんの記憶を喚起させてただくことになる。
 今に続く日中交渉の問題点を含んでいるので、中国関係の勉強が必要だ。

 その他、舞台、ドラマ等々、やりたい仕事が山とあり、時間がいくらあっても足りない。あと20年くらいは「現役」で執筆活動をすることになるだろう。「貧乏暇なし」の状態だが、とにかく「社会との関わりをもつ」ことは老化防止には一番有効であるようだ。それと柔軟な思考。物書きにとって何より排さなければいけないのは偏狭な「原理主義的」発想である。

 本日、ある方からメールが届いた。あることについての感情の齟齬について。人はいろいろな「妄想」をするものと思った。これも一種の「人間研究」の素材となる。
 人さまざま、その人の立場、立場によって、なるほど、そんな考えをするのか、と思った。
 最近、感じるのは「自分を中心に地球はまわっている」といった思いの人が多いこと。時代の風潮なのか、あるいは人間とは知恵をもって以来、そういうエゴイズムの固まりなのか。
 他人の言動を見て、我が身を直す……そう思う方が建設的かもしれない。それと、人間は常にミスを犯す生き物である。
 最近あることを執筆したことで、ぼくのミスを指摘された。自分でもエッと驚くような間違いを犯してしまった。それで傷ついた人にはひたすら陳謝をするしかない。「ミスを犯す生き物」だとして開き直るつもりはない。反省と自戒の材料として深く胸にとどめたい。いくつになっても、日々勉強である。


 
by katorishu | 2005-08-27 02:34