ハンセン病のミュージカル
2004年 09月 25日
清瀬市にあるハンセン病の療養所、多磨全生園にいく。「アバ音楽の森」というNPO代表で作曲家の高橋如安さんと午後3時、西武池袋線の清瀬駅で待ち合わせた。
多磨全生園の退所者で、ハンセン病であったことを実名で記した本『証言・日本人の過ち』(藤田真一編著・人間と歴史者)の証言者、森元美代治氏と夫人の美恵子氏に会って、いろいろとお話をきくためだった。
藤本氏は現在、66歳。2年前、療養所を退所し、清瀬市内のアパートで、夫人の美恵子氏(59歳)と一緒に暮らし、ハンセン病への、いわれなき差別の問題に真摯に取り組んでいる。
氏はハンセン病であることを実名で公表し、この病気に対する誤解、偏見、差別などを訴えた。ほとんど初めての試みで、そこに踏み切るまでの氏の苦悩は深かった。なにより、家族親族が猛烈に反対し、氏は何度も窮地にたたされた。
氏は喜界島の生まれで、中学生のとき発病した。「らい予防法」によって強制隔離されてから今日に至る氏の歩みは、「聞くも涙、語るも涙」の物語である。
「アバ音楽の森」で、森元氏の体験をもとに子供向けのミュージカルをやろうということになり、その台本をぼくが書くので、ご夫妻のお話をうかがうことにしたのである。
ハンセン病は「らい病」「レプラ」などといわれ、つい最近まで極めて恐ろしい業病として、恐れられてきた。「らい予防法」という法律によって患者は、社会から強制的に隔離され、地域社会ばかりでなく家族からも「絶縁』同様のあつかいを受けてきた。
ようやく患者や関係者の努力が実り、8年前「らい予防法」は廃止され、ハンセン病は「ごく普通の感染病」のひとつと認められた。感染力は極めて弱く、21世紀になってから我が国で新たに発生した患者は年に5人ほどだという。
現在13ある国立の療養所と2つの民間施設に計3600人ほどの入所者がおり、平均年齢は76歳を超えているという。ただ長年、社会から隔離されていた上、高齢でもあり、社会復帰は容易ではない。
特効薬の開発や生活環境の改善で、我が国では感染者が激減し、すでに過去の病になりつつあるが、海外ではインドなどを中心に例えば2002年度だけでも72万人もの新しい患者が発生しているという。
森元氏の夫人の絵美子さんは太平洋戦争で、日本がインドネシアを占領したとき、日本兵と現地インドネシア女性とのあいでにできた混血児で、日本に留学しているときの昭和42年、ハンセン病を発症し、多磨全生園に入所。そこで出会った森元氏とやがて結婚した。
絵美子氏によると、インドネシア でのハンセン病への偏見、差別は日本以上で、今もなお夫婦が元ハンセン病患者であったことは、現地では明かしていないという。
一族からハンセン病患者がでると、親族の結婚、就職などにさしつかえるからと、家族はひたかくしにしてきた。病気というより患者そのものの「抹殺」を主眼にしてきた「らい予防法」や関係機関の無知、無理解がこの傾向に拍車をかけたようだ。
じっさい、森元氏の語る差別の実態はすさまじいもので、病の苦しみの上に更に、偏見、差別と戦わねばならなかった。
そんな偏見、差別の重圧をのりこえ、家族の猛反対を押し切って「カミングアウト」した森元氏。勇気ある行動を土台に、「家族からも切り離される」患者の悲しみと、これを克服していく勇気を土台に、台本を書いてみたい。
ハンセン病といえば、学生時代に読んだ北条民雄の『命の初夜』という作品が思い出される。川端康成の推薦で文芸雑誌に掲載されたもので、当時「らい病」といった病に冒された青年の絶望がひしひしと伝わり、慄然とした気持ちになったことを、覚えている。
この問題を主題にすえ松本清張は『砂の器』を書いた。映画化もされたが、主人公の苦悩がせつせつと伝わってくるいい映画だった。最近TBSで放送された連続ドラマ『砂の器』は、ハンセン病という主題を敢えてはずして描かれたもので、森元氏は「あれは……」とまったく評価していなかった。
森元氏は人にいえない苦悶に50年以上にわたってさらされてきたのだが、患者の中では比較的軽症のほうで、外見からはハンセン病の患者であったとは感じられないほどだ。しかし、森元氏は右目は失明しており、一時は耐えきれない痛みに懊悩し、一方、ひたすら病を隠し、住所をも隠す生活をつづけていた。
氏がカミングアウトしたことで、兄姉たちからの反発、怒りをかい、ようやく今年の5月に、兄姉たちとの完全な「和解」が成立したという。それまでの氏の苦しみはどんなものであったのか。氏の境遇に身をおいて想像すると、言葉を失ってしまう。
どのようなミュージカルにしあがるか。基礎となる台本をどう書くか、そう簡単には書けないなと、さまざまに思いめぐらせながら、3時間近く、お話をうかがった。
「最後は明るい光が見えてくるものにしたいですね」
とぼくがいうと、森元氏も同じ意見だった。フィクション部分も付け加えることになるかと思うが、さて、どんなものができあがるか。ぼくも含めて、関係する多くのかたがたは、ほとんどボランティアである。