捨てるにしのびない本ばかり
2005年 09月 17日
近々、品川に引っ越すので、終日、その準備。見積もりにきた引っ越し会社の人が、あまりの本の多さに苦笑していた。「これだと段ボール箱200でも足りないですね」。 カミサンの分も含めてだが。。
かなりの本を処分したほか、すでに八王子に送って保管してもらっているのだが、「断腸の思い」で本を捨てつつ段ボールにいれる作業をつづけた。夜が明け、気がつくとお昼。10時間以上、続けていた計算になる。それでも、まだ一部。足腰が痛むが、良い運動にはなった。
仕事の必要上、関連図書を5冊、6冊と買うことがあるが、多くは本屋にいき、書き出しや後書き、目次などを読み、ぼくなりに「厳選」して買っているので、1冊1冊に愛着がある。整理をしていると、「これも読みたい、あれも読みたい」という思いがつのり、じつに捨てるのにしのびない。ブックオフは「きれい」な本しか引き取らないので、10年、20年前の本は増え続ける本を前に捨てるしかない。神田の古本屋などを呼べばいいのかもしれないが。
なかなかこちらの都合の良い日に来てもらえない。
ぼくなど一種の「活字中毒者」で、本を読まない日は1年365日のなかで、病気などをしたときだけだ。(最近、ほとんど病気をしないので、とにかく暇があれば読む)
外出の際にも必ず本を重い鞄の中にいれていくし、枕もとには常に数冊の読みかけの本がある。電車の中などで10分時間があれば、本を読むことが多い。
「とにかく、本は面白い」。映像時代だなどといわれ、なんでも「絵」がないと、つまらないと思えてしまう人が増えているようだが、活字の本のもっている「豊饒さ」にはかなわない。なにより「想像力」「空想力」が刺激されると同時に、深くものを考えさせてくれる。
1冊でも本を書いた人ならわかると思うが、つまらないと思える本でも、1冊を書き上げる労力は相当なもので、著者の「怨念」「感動」「怒り」「喜び」……等々、いろいろなものがこもっている。言葉のことを「言霊(ことだま)」とはよくいったものである。まして「面白い」「感動した」労作となれば、書いた人の心からの思いや、費やした膨大な時間、研究の成果等が、紙背から伝わってきて、卒然となるときもある。
過日、筑紫哲也ニュースででフィンランドの子供たちの学力の高さ(世界1)についての報告をやっていた。学力の高さの根底にあるのは「読解力」で、それは読書によって養われるとのこと。
「受験」などに役立つから読むというのではなく、とにかく読書の面白さ、楽しさを子供のうちから身につける教育をしている。「人的資源」しかない国だから、そうしているのだとフィンランドの首相は話していた。
同じく「人的資源」に頼るしかない日本はどうか。日本の子供の学力は年々後退し、11位であるという。とくに読解力が弱い。大学生などでも、、「次の×項目から選べ」といった「選択方式」では比較的、良い成績をおさめるものの、「これについて思うところ、意見、考えを記せ」といった問題になると愕然とするくらい落ちる。紋切り型、類型的な答えしか出てこない場合が多い。
創造力、批判力が弱いのである。とにかく自分の意見をいわず、みんなに合わせる人が大人でも多すぎる。自分がこう思ったら、100人が違った意見であっても、「自分はこう思う」と主張する勇気が欲しい。ヒステリックに感情的に自己中心の意見を無理強いするのは論外であるが。
他と違う意見を述べ、その意志を変えない人は、これまでの日本的「村社会」では、往々にして「奇人」「変人」の部類にいれられてきた。
先の総選挙で小泉首相への「人気」が圧倒的に高かったのも、多くの日本人と違って「強く自己主張」する点が、「欲求不満」「時代閉塞感」を日々感じている層に受けたのだろう。
ただ、相手と徹底的に議論して「感情」ではなく「論理」で説得して人気を集めたのならいいのだが、芸能人の人気投票ではあるまいし、テレビ映像で煽りに煽って得られた結果には、ぼくは落胆と同時に深い危惧を感じざるを得ない。
10数年前に読んだ小泉氏の郵政民営化の本にはなかなか説得力があった。光文社のカッパブックスであったと記憶している。
総理になってから「殺されてもいい」という決意のもとに打ち出した今度の「民営化」など本当の意味の民営化ではない。骨抜きの「表面的な民営化」であり、財務省の官僚と竹中平蔵氏、それに旧弊な自民党議員の「妥協の産物」でしかない。
民営化の中身を問えなかった野党第一党の民主党も頼りなかったが。連合などの労組への配慮がきいたのだろう、本来野党が訴えるべき「改革」が完全に小泉首相の「ワンフレーズ・ポリティックス」に吹き飛ばされてしまった。
それにしても、多くの有権者は、なぜ、こんなカラクリ、騙しを見抜けないのか。本を読まないからである。本を読まないから、想像力、読解力が摩滅してしまうし、批判力も育たない。本を読むとは、世界を批判的に読み解くことでもある。