コラム


by katorishu
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早朝の電車内で仕事

 9月18日(日)
 久しぶりに早朝の電車の中で仕事をした。携帯パソコンをもって家を出て、5時半の電車に乗って執筆作業をするのである。30数分乗って錦糸町駅の先の押上げ駅までいき、プラットホームの椅子に座ってさらにキーボードをたたく。それから三軒茶屋駅までもどった。この間、2時間、ずっと執筆作業。 
 日曜日の早朝なので電車はすいていた。計60分の乗っているのに、運賃は1駅分120円。
三軒茶屋から駒沢まで歩いて、早朝7時から開いているベローチェで2時間創作。

 「群衆の中の孤独」といったような言い方があるが、どうもざわざわした中、不特定多数の顔があり声がする中でのほうが、集中力が増すのである。精神を集中すると、まわりの音が消える。「いろいろな仕事をやってエネルギッシュですね」などといわれるが、ぼくは本来極めて怠惰な人間である。
 余裕があったら、どこか避暑地でもいって、好きな本を読んだり、自然を眺めたり、昼寝をしたり……で、ぼんやりと時間を過ごしてしまうに違いない。10代の終わり、「作家」を志したときからそうだが、常に怠惰な自分を叱咤激励し、書く方向へ精神を傾注し、集中させるために、一種のセレモニーが必要だった。
 喫茶店をわざわざはしごをして書くのも、そうだし、音楽やコーヒーでまず「雰囲気」を作るのもそう。怠惰な自分にエンジンをかける上で必要な装置である。ワープロ機械を早期に入れたのも、そうである。原稿用紙に一字一字書いていく作業は、そう長くは続かない。現在、ほとんどパソコンで書いているが、これもぼくには「セレモニー」の一環である。

 脚本、ノンフィクション、小説と、3つの分野で書いているのも、本来、自分が「熱しやすく飽きっぽい」ので、そのマイナス面を補う意味がある。
「この道ひとすじ」とか「原理主義者」とは、恐らく対極にあるのかもしれない。
 要するに「アバウト」なのである。子供のころ家で「いいかげんぶし」とよくいわれた。新しもの好きで、すぐ熱中するが、飽きるのも早い。続かないのである。続かせるための「セレモニー」を随所に仕掛けていかなければ、中途で挫折する。
 敢えて「貧乏」になっているわけでもないが、「裕福」でないというのも、ハングリー精神が発揮され、書く意欲につながる。結構な額の年金や株の配当、遺産、家賃収入などが「もしあったとしたら」恐らく日々「楽しく消費」するほうに流れ、結果として何も書かなくなる公算が強い。
(比較をするのもおこがましいが、バルザック、ドストエフスキーなど借金返済のために猛烈なエネルギーを発揮して書いた。広大な農地を所有する裕福な貴族のトルストイは、それでも書いたが、こういう人はぼくから見ると「聖人」である)
 モーツアルトの手紙を読むと、借金の催促ばかり。「芸術家」というのは概して貧乏である。金銭感覚が鈍く、ギャンブルその他で、敢えて「貧乏」になる方向に堕しやすい性格なのだが。

 執筆作業はマラソンや登山などと同じで、決して楽な作業ではない。ただ、仕上げたあとの達成感、充実感は、安易に楽に得た消費の感覚とは違う。汗をかきかき頂上まで登って口にするいっぱいの水は、どんな名水や飲料にもまして「うまい」のである。
 ただ、最近、「頂上」にのぼったあとに飲む水が、あまりうまくなくなった。加齢故の生命力の枯渇なのか。あるいは会心の作が出来ないからなのか。
 現在、午前2時半。このまま起きていて、始発の電車にでも乗って、うだうだ考えよう。本日は終点の東武動物公園駅までいってみようか。60,70分かかるのではないか。
by katorishu | 2005-09-19 02:41