コラム


by katorishu
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町が仕事場

 9月26日(日)。
 子供のころ「落ち着かない子」といわれた。じっとしているのができないのである。よくいえば「行動的」なのだろうが、悪戯ばかりしていて隣家の柿を棒でつついて全部落としてしまったり、ろくなことはしなかった。それでいて自意識過剰故の「内弁慶」で、学校ではいちおう「優等生」の振る舞い。
 自分でも、嫌な性格だなと思い、なんとか性格を改善しようと努力してきたのだが、「落ち着かない」ところは、三つ子の魂百までといわれるように、なかなか治らない。座業である「文筆」の仕事なのに、家でずっと机に向かって仕事をする時間に耐えられないのである。そのため、パソコンはもちろん、ワープロもない時代は、原稿用紙をもって喫茶店にはいり、何時間もねばって書いた。一日数軒まわり、平均すると5,6,時間はいたのではないか。

 店主に嫌な顔をされることもあるが、たいていは馴染みの喫茶店であり、客のいない時間をねらっていき、こんできたら退出する。勤めの傍ら書いていたため、いつも時間が不足し、30分でも時間があくと、喫茶店にはいり原稿用紙をひろげる。そんな生活習慣も、影響しているのだろう。今でもぼくは携帯パソコンを手に外出し、喫茶店で4,5時間は仕事をする。補助のバッテリーがあるので、計10時間続けることも可能だ。
 大量の資料を傍らにおいてかくノンフィクションの場合は、そうもいかないのだが、パソコンのなかにかなりの程度資料をとりいれることができるので、ますます外での仕事の時間が増える。いわば町が仕事場のようなものである。

 静かすぎる環境より、適度に騒音がいりまじり、ガラス窓から外の道路の光景が見えるところのほうが執筆の意欲がわくのである。社会学者のリースマンが『孤独な群衆』という本のなかで、「群衆の中の孤独」という言葉を解説していたが、ぼくにとって一番孤独になれるのは、都会の喧噪の中であることが多い。
 
 ところで、すでに半年になるが、文芸評論家の末延芳晴氏が中心になって、オペラ歌手やピアニスト、作曲家ら、おもに「芸術家」が中心になって「ガンジーの会」という、ささやなか組織をつくった。ブッシュ政権のイラク戦争と、これに追随する小泉政権のイラク派兵に反対するため、「ハンスト・リレー・マラソン」という意思表示を考えたのである。
 発起人、5,6人が中心になって、ほぼ週に一回、自主的に24時間、ハンストを行う。それをガンジーの会のホームページに報告し、メルマガなども発行し、じつにささやかではあるが、「市民の市民による不服従運動」として、リレー形式で自発的につづけている。ハンストは「自己申告」であり、どこでなにをしていてもいいが、とにかく24時間、水以外はなにもとらず、無言の意思表示をする。
「そんなことをやったって、なんの力ももたず、自己満足におわるだけ」という声も聞こえてきそうだが、地道に愚直に継続することで、なにか意味をもってくるはず……と思っている。「定点観測」というのがある。四つ角を定期的に写真に撮ったりするのだが、一ヶ月や二ヶ月ではなんの意味ももたない写真でも、5年、10年と続くと、大きな意味をもってくる。それと同じで、愚直に続けるところから、なにか意味や力がでてくるにちがいない。
 主催者の末延氏は頑張って週に3回ハンストを続けており、おかげでこの半年で、15キロちかく体重が減ったという。70キロを超える体重がへって、すっきりし、体調も悪くないという。
 ぼくもちょっと気を許すと67,7キロになるが、週一日のハンストのおかげで、現在、169・5センチの身長で、体重は63.5キロ。これは20歳のときの体重で、健康診断でもどこも悪くなく、階段の上り下りにも楽である。
 ホームページでのエッセーで、ことあるごとに指摘しているが、いまのような資源の大量消費をつづけていれば、この文明はかなり早い時期にほろびてしまうだろう。21世紀の最大の問題は「環境問題」だとぼくは以前から思ってきた。
 イラク戦争も、本質は大量生産、大量消費文明の申し子であるアメリカの「グロバリゼーション」の動きがもたらしたものである。アメリカという国のシステムには、いろいろ見習うべき点があるが、自動車文明に象徴されるような地下資源の大量消費の点では、まったく賛同できない。
 資本の論理で、伝統文化を破壊し、一種の宗教的使命感をもって、世界を画一化しようとしている。要するに儲かればいいのである。ブッシュ政権を背後で支えているネオコンの論理だが、文化の多様性こそが、「豊かさ」であると思っているぼくには、相容れない価値観だ。
 で、末延氏の呼びかけに賛同して、ほそぼそと続けている。デモをして声高に「戦争反対」などと叫ぶのは、どうも恥ずかしい。効果もあまり期待できない。だからといって、個人が自発的にハンストを行ったとしても、権力をもった人間にはなんの脅威でもなく、「ゴミ」のような存在であるかもしれない。ただ、塵も積もれば山となるという言葉もある。点滴巖をもうがつ、という言葉もある。少なくとも3年続ければ、賛同者も増えてくるはずで、なんらかの影響力をもつかもしれない。
 そんな淡い期待を抱いて、本日も正午からハンストにはいった。といっても、座り込んだりして抗議の姿勢を示すわけではない。いつもと、ほとんど変わらない生活をつづけているが、気持ちの底では「抗議」の姿勢をしめしている。そうして終わったら、ガンジーの会のホームページに報告をする。
 
 ぼく個人にとっては、「ガンジーの会」を通じて、いろいろな人と出会えたことが嬉しい。このホームページも、ガンジーの会にくわわったからこそできたのである。ガンジーの会のホームページをボランティアでつくってくださり、メルマガ発行の編集を引き受けると共にホームページの管理している山下美樹さんのボランティア精神のおかげである。 どうか、少しでも興味をお持ちのかたは、当ホームページのリンクから「ガンジーの会」のホームページにアクセスしてみてください。

 さて、ハンスト中でも、ぼくは喫茶店に出かけることが多い。もちろん、コーヒーを頼むものの、水しか飲まない。本日は珍しく、一日も家をでなかった。もっとも24時間、食事をしないといっても、正午から翌日の正午までである。ぼくは普通、昼頃起き、食事は一日二食なので、一食抜くだけであるが。
 若いときとちがって、この程度の空腹はあまり苦にならず、翌日のハンスト明けの食事が、じつにうまい。水のうまさも、改めて実感できた。健康のためにもいいし、飽食社会について、いろいろと考えることになる。
 試みでも結構ですから、一度、ハンストをしてみてください。そうして、月に一日くらいは、世界のあり方、社会や政治、経済のあり方について、果たしてこれでいいのか、なにかが間違っているのでは……等々、深く思いをめぐらせてください。少しは物の見方が変わるかもしれません。物の見方を変えなければどうしようもない時期にきていると思います。
by katorishu | 2004-09-27 00:07