久々の晴天
2005年 10月 21日
久々の晴天で、気分が良い。11時から17時まで、ボランティアで足立区のまなびピアにある「脚本アーカイブス準備室」に。訪問者はゼロで電話は1本のみ。まだ認知度が低いので、仕方がない。
ちょっとした資料の読み込みのほか、読書とパソコン操作で時間をぶつす。60平方くらいの広さか。両側の資料棚、本棚は、まだがらがら。窓から隅田川が見晴らせる。宿場町通りという古い商店街の古い食べ物やで、手作りと思われる五目寿司と水を買って遅い昼食を食べた。
「阿片王」をほぼ読了。ずしりとした量感で迫ってくる。希有の人生につきあい、里見甫という人の息づかいが聞こえてくるようだ。
ノンフィクションの醍醐味を味わった。佐野真一氏の筆法は、ややくせがあり、気になる表現がいくつもあったが、時間をかけて書いた力作である。
コーヒー店で開いた携帯パソコンの画像が乱れ、かすみ、一瞬壊れたかと思ったが、電源を消したりつけたりしているうちに回復した。まだまだ脆弱な装置である。
今の生活にパソコン、インターネットは必需品だ。ぼくの同世代の人間はまったくパソコンに触れない人も多いが、そういう人と情報収集の差ができてしまい、話が通じない場合が多い。そういう人はいずれ「化石世代」となっていくのだろう。
良いことか悪いことかわからないが、ぼくの場合、人との連絡、情報の交換の8割以上をメールを通じて行っている。すでに体の一部、脳の一部になっているかのようだ。「オタク」の青年などと同じようにパソコンを通じて社会とつながっているようでもある。従ってパソコンがないと、社会とのつながりが切れてしまうような恐れさえある。
ぼくでさえこうなのだから、今後、人と人とのコミュニュケーションの形はかなり変わっていくだろう。子供のときから、こんなコミュニュケーションをとって成長した人間がどんなふうになるのか、予想もできない。ただ、人間は案外、適応力のある動物である。あまり悲観的に考えないほうがいいのかもしれない。ある時期からの人間は他の動物から見れば「悪魔」と同じ存在なのだから。人間について考えるとき、存在自体が「悪魔」であり「妖怪」「怪物」……という意識を残念ながら払拭することはできない。