未完の映画のプロデューサーに遭遇
2005年 10月 22日
午前中、執筆。午後3時、渋谷で作曲家の如安さんに久しぶりで会う。将来展望について話し合ったが、なにをやるのにも「先立つもの」がないと動けない。悲しいことに、それが現実である。
同じ喫茶店で某プロデューサーに遭遇した。ぼくがシナリオを書いた映画のプロデューサーである。まずいところで会ったという表情が一瞬浮かんだ。
映画のほうは頓挫したままだが、理由はただひとつ、資金の問題である。制作した独立プロは「自転車操業」で新しく映画制作が出来る状況ではないようだ。彼はひとと待ち合わせており、雇われプロデューサーで資金面の責任者ではないので、それ以上深く聞かなかった。
映画の制作も大変である。途中で頓挫してしまった映画は、恐らく完成した映画の何倍もあるにちがいない。シナリオ段階では恐らく、未完の映画のほうがずっと面白いものがあるはずなのに。
途中で頓挫すると、それまでに使った資金も回収できず、誰かの肩に重くのしかかる。1000万単位のマイナスのお金がのしかかると、死にたくなるに違いない。なんとかこれまで制作した映画が少しでもヒットして資金を回収し、新たな一歩を踏み出して欲しいものだ。
夕方から「ガンジー村通信」の原稿書き。いつも同じようなことを書いているような気がしてくる。今回は書評を書こうと思っていたのだが、そのエネルギーも時間もなく、いつもの「持論」を形を変えて書くことになった。 メールのやりとりを7通ほど。