デジタルディバイドが心配
2005年 10月 27日
木曜日は恒例の脚本家アーカイブスに11時から17時まで詰めるボランティア。階下の足立区立図書館で著作権関連の本をかりて勉強。いろいろ難しい問題がからんでいる、と実感する。中国関連の図書も一緒に借りる。
帰路、秋葉原でおり電気街でパソコンの周辺器機などを買う。秋葉原は活気に満ちていた。やはり今を代表するのはIT関連なのだろう。
ぼくの知り合いにはパソコンをまったくやらない人が多いが、「デジタルディバイド」のことを心配する。今後ますますパソコン、インターネットが生活の場にはいってくる。パソコンに無縁ということは、電話と無縁であることの比ではなくなる。活字と無縁で、筆で書いた文字にしか接しないようなものとなるかもしれない。
筆文字に固執した漢学者などは、すでに絶滅品種である。
パソコン、インターネットの害はあるものの、この流れは押しとどめようもない。社会にがっちり根を張っている「既得権益」を崩す強力な起爆剤だと思う。
ぼくと同年かそれ以上のひとには暖衣飽食をやめて「太らないほうがいいですよ」という言葉とともに「パソコンをやったほうがいいですよ」とすすめるのだが、キーボード・アレルギーがあるのか、現役で仕事をしている人の中でもやらない(出来ない)人が多い。
退職して年金暮らしをしている人こそ、「脳軟化」を防ぐ意味でも、インターネットを試みたほうがいい。インターネットで世界とつながるネットワークを築いたりいろいろと新しい試みが出来ると思うのだが、「いまさら」という人がいるんですね。
若い人にバカにされないためにも、もっと好奇心を発揮したほうがいいと思うのですが。
「主義」として断固やらないという人は、それはそれで見上げたものだが、パソコンアレルギーでやらないという人は「絶滅品種」の覚悟をしなければならないだろう。
そろそれ光ファイバーをいれようかと思っている。家庭の70パーセントぐらいに光ファイバーが普及すれば、情報の流れは劇的にかわる。もっとも、それが多くの人を幸せにするかどうかはわからない。
「幸せはつかみとらなければ」とはぼくがこの夏、上演した「チバリヨ」の歌詞の中で強調したことです。いつになっても「精神の若さ」だけは保ちたいもの。精神の若さは脳の若さである。柔軟で、しなやかに動き、新しいものにも古いものにも「少年(少女)の好奇心」をもって対しないと、ホルモンも活性化せず、第一つまらないじゃないですか。