コラム


by katorishu
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NHK記者の逮捕について思うこと

 11月6日(土)
 起きる時間がだんだん午後にずれてきている。秋晴れの好天なのに、午後の3時ごろ起きたので、好天を味わうこともできなかった。
 品川シーサイド駅の真上の高層ビルの一階にある「上島珈琲店」で2時間半ほど携帯パソコンに向かう。すいているので、少々の長居も許される。このへんIT関連の企業が多いためか、珈琲店などでパソコンを操作している人も多い。
 家で仕事をしたらいいと思うのだが、一種の「習慣」になっていて、いったん外にでて珈琲店に入らないと、何事もはじまらない。以前はコーヒー代が400円から500円というのが普通であったが、今は200円前後と安いので、救われる。

 イオンで毛皮の上着類をうっていたが、2,3万といったところ。それで思い出したが、つとめをやめる年に池袋の西武デパートで思い切って買った黒の毛皮の上着は12万円だった。25年以上も前のことなので、今の物価に換算すると30万ほどではないか。
 昔はぼくも「リッチ」であったようだ。勤めの他に「文筆」の仕事もしていたので、睡眠などで8時間を使う以外は、原稿書きかそれに近い仕事をしていたという気がする。
 今も仕事に費やす時間やエネルギーはそれほど変わらないのだが、ボランティア的な仕事や金にならない仕事が多いので、当時の収入の3分の1か5分の1だ。
 従って盛り場にもほとんど行かない。遊びで人に会うことも少ない。買うものを選ぶとき、まず値段を見る。タクシーにも乗らない。遅くなっても電車で帰る。
 それでいいこともあるのです。無駄にだらだらと過ごす時間がなくなった。
 本を読み、音楽を聴き、ものを考え、会って意味のある人と会う。以前は一日が終わって「後悔」することが多かったのだが、今はそういうことはない。自分なりに「精一杯生きている」という実感がある。
「最近、香取のやつあまりマスコミで名前を見ないな。売れてないんだな。くだらないドラマを書きすぎて才能が枯渇してしまったんだな」と思われているのかもしれない。

 マスコミの連中との接触が減り収入も激減した分、精神衛生にはいいこともあるのです。
 本日帰宅してパソコンでウエブ上の記事を見ると、各新聞のトップは「NHK記者、放火未遂で逮捕」という記事だった。
 若い記者で、仕事がうまくいかず一種のノイローゼになっていたようだ。放火し、それを第一発見者として記事にし、記者として存在を顕示するつもりであったのか。何にしても愚かなことである。朝日新聞の長野支局の記者が田中知事と亀井議員との会談について「でっち上げ記事」を書いて話題になったが、同根だと思う。最近、記者の質が落ちていると聞くが、その延長戦上にある出来事だろう。

 世間から「エリート集団」と見られている組織ほど「危ない人間」も数多い。以前、ぼくが在職していたころNHK内のクリニックの医者が、「この組織は精神的におかしな人が他の会社などに比べると多いですね」と話していた。
 その医師は嘱託医でいくつかの会社でも診療をしており、実感を語っていたのだろう。なにがきっかけで、そんな話をしたのか忘れてしまったが、妙に記憶に残っている。
 ぼくの見知っている範囲でも、「危ない」と思われる記者や制作スタッフがかなりいた。もっとも、ぼくなども「作家になるための仮入隊」などと公言していたこともあったし、少々「危ない」人間であったのかもしれない。
 気が弱く小心なので、なんとかみんなとあわせるよう努力をし、それで疲れてしまったが。
 周囲の期待を担って入ってくる人が多く、しかし中ではそれほど力を発揮できない。元来、優等生できたから、打たれ弱く、傷付きやすい人が多かったという気がする。
 だから、ますます組織にしがみつき、組織の論理と呼吸を合わせる生き方になる。しかし、中身は人間である。組織とおのずと相反する部分がどうしても出てくる。それをうまく発散できないと、エネルギーが妙な方向に発散される。
 そんな構図があるように思えるのです。

 ただ当時はNHKに限らず、「もみ消し」がかなりきいたので、表面に出ず内々で処理されたトラブルも多かった。まだ戦後の、ある意味でアナーキーで、いい加減な空気も若干残っており、羽目をはずしても「豪傑」ということで許されていた。
 最近、漏れ聞いてくる話では、他の世界と同じで管理が行き届き、しめつけが強くなり、アバウトな部分が許されなくなっているようだ。その息苦しさからかえって「不祥事」に走る人間も出てくるのだろう。

 一連の「NHK問題」を見ていると、なにやら日本の縮図であるような気がしてくる。
 今後あの組織がどうなるかは、そのまま今後、日本というシステムがどうなるかということに重なり会ってくる。良い意味でも悪い意味でも「もっとも日本的な仕組み」、それがNHKである。
 未だに「元NHK」といわれることがあるが、ぼくが在籍したのは10数年である。いつであったか旧知の脚本家と久しぶりにあったとき、彼はこういっていた。
「香取さんは、すっかりNHKらしさが抜けましたね」。  
 NHKらしさとは、なんなんでしょうね。
by katorishu | 2005-11-06 00:37