対米べったりで失ったもの
2005年 11月 17日
ブッシュ大統領、訪日。日米同盟の強化をうたい、両首脳ともご機嫌のようであったが、今のようなアメリカべったり、というより追随で良いのか。アメリカの「多民族、多文化」社会は、今後の人類の目指すべき社会の先取りという気がしないでもないが、ネオコンを基盤にもつブッシュ政権は感心しない。それにべったりの小泉政権。その政権に多くの支持を与えている日本国民。
率直にいって、大きな距離を感じてしまう。
みんなアメリカが好きなんですね。ハリウッド映画にも見るべきものはあるが、ヨーロッパやアジア映画にはさらに見るべきものがある。なのに、ハリウッド映画ばかりが隆盛の日本。テレビが隆盛(?)の土壌と、どこかで結びついているような気がしてならない。
考えてみれば、テレビ文化はアメリカがもたらしたもので、「日本のアメリカ化」が柱だった。テレビ放送初期、盛んにアメリカの「ホームドラマ」が放送された。日本人は自分たちの目指すべき生活の雛形を、ドラマの中に見ていた。
そうして「高度経済成長」をへて、その雛形を形のうえでは実現したのだが。それで、多くの国民が果たして「幸福」になったのかどうか。
アメリカン・ウエイ・オブ・ライフを追求した課程で日本が失ってしまったものも、また大きい。得たもの失ったものを単純には計量できないが、ぼくの感覚では6を得て4を失ったと思う。
プラス、マイナス2だから結構じゃあないかという人がいるかもしれないが、失った4の中にこそ、日本の美点の数々があり、経済上の数字のように「プラスだからOK」というわけにはいかない。
本日も品川図書館のパソコン利用可の席で5時間ほど執筆、資料読み等。お金をかけた良い施設なのに、あまり区民に利用されていないようだ。こういうのを「宝のもちぐされ」という。