横浜みなとみらいは、日本の未来か
2005年 12月 02日
横浜みなとみらいの「横浜パシフィコ」で開かれている第7回図書館総合展にいってきた。30日より三日間開催される。公立図書館や学校の図書館で働く司書などを対象にした展示会で、いろいろな関連のフォーラムが開催される。
ぼくは日本脚本アーカイブスの関連で足を運んだ。図書流通センターの「ICの最新情報と図書館での利活用」というフォーラムなどに顔を出した。
一階の広い展示場には、図書館関連の業者が最新の技術などを展示していた。やってくる人の大半は司書と思われる人なので、みんな地味目で、真面目そうに説明に聞き入っている。
ここでの中心をしめるのはITである。インターネットが、この10年で人と人とのコミュニュケーションを大きく変えたが、まだ序曲という気がする。これからどう変化するのか、予想を超える展開になるかもしれない。
みんな知恵をだして色々なものを考えるものだなと、感心する。大事なのは心の問題なのだが、それはさておき技術的なものが先行する。
久々に横浜にいったわけだが、横浜駅から横浜港方向に位置する「みなとみらい」地区の変貌ぶりには目を見張る。この地区だけ見ていたら、「日本は豊か」「世界の先端をいっている」と思うにちがいない。じっさい、ぼく自身「ずいぶんと贅沢にできている」と思った。
帰りがけ横浜駅構内のドトール・コーヒーにはいった。ここでは「日本の現実」をはからずも垣間見ることができた。夕方のラッシュアワーなので、ひっきりなしに御客がはいり、コーヒーを立ち飲みする人も多かった。
奥のテーブル席で、少々すいている席があった。壁際の席にひとりの老人が座っていた。着ているものはそれほど汚くないのだが、顔を見て、ぼくも隣に坐るのをためらった。もう何ヶ月も顔など洗っていないと思えるほどどす黒く、汚れた顔をしていた。入れ歯をふにょふにょ口の前に出したりしている。でも、御客である。
入ってきた人は隣に座ろうとして、その老人の顔を見てすぐ向こうにいってしまう。ぼくはひとつおいて隣に坐った。左隣には青年が座っていた。この青年の行いがまた妙だった。テーブルの上を何度も何度もペーパーでふくのである。それから、コーヒーカップやノート類を横や縦に動かしたりして並べ直す。そんなことを何十分も続けている。ちらっと横を見ると、こちらをじーっと見つめるので、ぼくは思わず視線をそらし、見て見ぬふりをしていたが。
帰るときも、すっとは帰らない。ものを置き換え、リュックを手にとったり、また置いたり。よく何度も何度も手を洗わないと気がすまない人がいるが、そんなタイプの若者だった。
どこか、おかしいのである。青年が席をたったあとに、セーター姿の女性がきたが、この人のお腹はぷっくり飛び出すように突き出ていた。妊娠してふくらんだ腹ではないと、形状ですぐわかる。体全体が脂肪の塊といった感じで動きも鈍い。
ホームレス風の老人がようやく立ち去ったあとには、煙草をやたらスパスパふかす髪の長い若い女。それなりに高い服を着ているのだろうが、猫背で姿勢が悪い。その隣では、どこの言葉かと思えるような品性のない日本語を話している女。
子供のころ「みなと横浜」といえば、ハイカラでモダンの代名詞ような存在であったのだが。
みなとみらいの横浜の「近代風の」景観とは逆に、どこか薄汚れて、お世辞にもきれいとはいえない人が、あまりにも多い。断っておくが、外見的に美人、不美人という意味ではない。
立ち居振る舞いが、どこか薄らぎたなく、だらしがないのである。あるいは、ちょっと異常なのである。景観との落差に、日本の現実を思わずにいられなかった。
ふと思い出した、みなとみらいの光景とドトールコーヒー内の人間、これはテレビ映像で映し出される光景である……。
帰路、どっと疲れが出てしまった。テレビニュースではバブル景気に迫るような株の値上がりがつづいているというが、どうも、この国の「豊かさ」は嘘っぽい。映画のセットの薄っぺらさに通じる。