師走になってしまった
2005年 12月 04日
新宿で「ガンジーの会」の世話人会。古くからの友人の末延氏の提唱ではじめた、無党派、無宗教のハンスト・リレーマラソンだが、当初想定したようには広がっていかない。
今後、どうするかについて議論になった。出席者は5人。それぞれが色々な思いで参加していて、「温度差」があるので、「自己満足」に陥りがち。
組織もなく、資金もない、インターネット上の「活動」で、新しい形の「市民の不服従」運動になればいいと思っていたが、参加者があまりに少なすぎる。
圧倒的多数の人間は「ゼニ」にしか関心を示さないようだ。日々の生活の糧を得るために苦労している人から見れば、「浮世離れ」をした「自己満足」の行動と映るかもしれない。
ところで、ぼくも末延氏も「遊んでいて暮らせる」「高等遊民」ではなく「日々の生活の糧を得るために苦労をしている」側の人間である。発起人の「芸術家グループ」の大半もそうである。
今の世の中、なにか事を起こすにはまず「ゼニ」である。この最大の「難関」「障害」の前で「夢」や「希望」が挫折してしまう。
「文化」や「芸術」にかかわっている人間は、どうも「銭勘定」にうといので、常につきまとう問題である。
口内炎がひどく、物を食べるのに苦労する。いつの間にか、師走になってしまった。予定していたことが、まったく出来ていない。年齢の割にエネルギッシュに活動しているように見られているようだが、今年もまた「不本意」な1年になりそうだ。
「こうあるべきであった」「こうあってほしかった」という「希望」と「現実」の大きすぎる落差に愕然とし、出るのは溜息ばかり。「才能がとぼしいんだよ」といわれたら、それまでであるが……。
人は後悔するために生きる動物である。ユン・チアン女史の「マオ・誰も知らなかった毛沢東」上巻をほぼ読み終えた。面白すぎて、仕事に手がつかない。