「作家」の末路
2005年 12月 09日
昼間、東銀座で開かれたリコーの「官公庁向けフェア」に顔を出す。脚本アーカイブの仕事で。
ところで、「作家」と称する人の末路は哀れとも悲惨とも言うしかないケースが多い。過日、某放送作家が亡くなった。60歳をちょっと越えたところだが、脚本家年鑑などで判断する限り、若いときはともかくある年齢からあまり仕事をしていないようだった。
本人が仕事を「したくない」のではなく「仕事をしたい」のに「仕事がこない」つまり萬年失業状態というのが実情なのだろう。甥っ子という方から放送作家協会に連絡があり、脚本家アーカイブスのアンケート用紙が届いたので、アーカイブスの存在を知り、叔父の台本等をひきとってもらえないかとのこと。
ぼくが改めて連絡をし、どのくらい台本が残っているかどうか聞いた。甥っ子は素人なので、台本は原稿用紙、資料なども「クズ」としか思えないようで、処分しようと思っていたという。
その方は甥っ子の家の離れに一人住まいであったようで、「最近ほとんど仕事をしていないし、ろくなものは残っていません」とのこと。口ぶりから「厄介者」という印象を受けた。
数日前、業者にがらくたなどを捨ててしまい、結局、台本として残っているのは4,5冊。それでもいいからと郵送を頼んだ。
亡くなった放送作家氏はアニメの脚本なども書いていたようだが、ぼくも名前を知らなかった。脚本家年鑑を見て、はじめてこういう方がいると知った。
電話での甥ごさんの口ぶりから、あまり敬意を払われていないなと思った。「ろくなやつじゃあないんですよ」というような言葉を甥っ子はいっていた。
この方に限らず、一握りの「売れっ子作家」をのぞいて、物書き稼業の晩年は、哀れをもよおす人がじつに多い。自由業で不安定な職業なので、そもそも家庭などもっていない人が多い。持っていたとしても離婚をしたり、家産を失っている人も多く、ホームレス一歩手前という人もいる。
年金なども国民年金に入っていればいいほうで、無年金の人もいる。
「作家」になるのは大変な努力と才能、運が必要とされる。まして作家でありつづけるには涙ぐましいまでの不断の努力がいる。
理容学校や看護学校など多くの職業訓練施設のコースを卒業した人は、ほとんどがその道の「プロ」になれる。医師も医師免許をとればよほどのことがない限り食いっぱぐれがないし、弁護士なども弁護士資格をとれば社会的に保証されている。
国家公務員、地方公務員は、よほどの怠慢、無能者、ないし犯罪を犯した人間をのぞき、人並みにやっていれば生涯安泰な生活を保障されている。
ところが、作家に限っては、「シナリオ学校」や「小説教室」を卒業しても、「プロ」になれるのは、極めて例外的存在である。懸賞ドラマや懸賞小説などで賞をもらったとしても、それで作家となれるわけではなく、たとえ作家になれたとして10年、20年、作家でありつづけることは容易なことではない。
経済的にも極めて不安定で、公務員や大企業のサラリーマンのように結構な年金があるわけではなく、多くの人が口にこそ出さないものの四苦八苦の生活をしている……というのが現実である。一部の「スター」的存在が目立つので、世間は「結構な職業」と思っているかもしれない。
現に、だからこそ、志望者はひきもきらないのだが、現実は極めて厳しいものであることは覚悟しておいたほうがよい。
特に今のように「数字」だけが重要視され、「文化」が金にならなず、ネット上の情報もタダという風潮がはびこっている社会では、生きること自体がむずかしい職業の最たるものだ。自殺者や夜逃げする人も少なからずいる。
もともと経済観念に乏しい人もいるので、今のように「余裕のない」社会になると、きつくなるようだ。「好き」とか「やりがいがある」「世間の評価がある」ということで、なんとか続けている人が大半である。経済的な条件の悪さを知ったら、志望者のかなりの部分は躊躇うのではないか。
それだけに、右から左に「情報」を流すだけで結構な給料をもらっているメディアの人間の怠慢さや、税金で食べている人たちの不正や怠慢、驕りなどを目にすると、ぼくに限らず、多くの同業者は強い怒りを覚るはずである。