コラム


by katorishu
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法事

 12月10日(土)
 亡父の1周忌、および亡母の13回忌の法事で、八王子に。弟夫婦が「家業」をついでいるので、法事なども実質的に「主催」し、長男であるぼくは形だけ。
 喜福寺でお経を読んでもらい、焼香のあと、墓に。新しい卒塔婆をたて、また焼香。お経を読む前に住職が寺に1000万の寄付を残して母子ともども自殺した高齢者の話などをした。その他、寄付の話や墓園の話、本堂の建て替えの話など、金銭にまつわる話が、ちょっと多かった。これも「時世」なのか。

 そのあと、参加者20数人で会食。懐石料理屋の「鶯啼庵(おうていあん)」で。本格的な日本庭園に面し、丘陵をうまく利用してつくった、凝ったつくりの料理屋だ。長男なので、最初の挨拶をする。
 亡父が死の直前、病院のベッドで最後の力を振り絞って書いた「シベリア抑留の記録」と詩らしいもの12編を冊子にして、参加者に配布した。

 父は享年91。母は77。大正、昭和、平成の「激動の時代」を生きた名もなき庶民だが、戦争が大きく影を落としている。ぼくが1歳ちょっとすぎのとき、赤紙がきて父は召集。そのとき、弟は母のお腹の中にいた。出征写真に写った母の腹は出ていた。
 戦後、父はシベリアに抑留され。ぼくが小学校入学直前に帰還した。ぼくに父の記憶はなく、「初対面」同様だった。お互いぎこちなく、感情の齟齬などもいろいろとあり、よく殴られた。弟は初めての対面。

 価値観の激変した戦後の空気に父はなかなかなじめず、いろいろと大変なこともあったが、なんとか生き抜いて、天寿をまっとうしたといっていいだろう。
「人間、一人だぞ。人間、一人で生まれ一人で死んでいく」と父がいつか吐いた言葉が妙に記憶に残っている。
by katorishu | 2005-12-11 01:24