コラム


by katorishu
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日本の人口減少を回避するためには

 12月22日(木)
 11時より17時まで脚本家アーカイブスの準備室に。アルバイトのF君と二人。F君は某放送局の「受信料聴取」関連部門(と書いただけでどこの局かわかってしまうが)でアルバイトをしながら、放送作家を目指している。
 とにかく、何事にも好奇心をもって、フットワークよく動くように……とアドバイスをよくしている。希望がかなって欲しいものだが、そう簡単ではない。
 帰路、執筆のため喫茶店に入ったが、睡眠不足なので頭が働かない。昨日なかなか寝付かれず、朝方睡眠薬を飲み3,4時間の短い眠り。早々にあきらめ帰宅し、仮眠をとる。

 テレビのニュースなどで、日本の人口が減少したことを大々的にとりあげていた。地球上に人口が多すぎるので、人口が減るのは結構なことだと思うのだが、日本の場合は、「高齢化」が進んでいるので、早いスピードの人口減は問題を起こす。
 そもそも若い人が結婚をしなくなった。結婚式に呼ばれることは、友人知人、親類縁者を通じても、ほとんどなくなった。
 以前は、いわゆる「出来ちゃった婚」が多かった。とくに結婚する必要もないのだが、子供ができ、おろすのも嫌なので、それじゃ結婚する。第二次ベビー・ブームのころはそんなカップルが多かったという気がする。

 一方で、結婚しても、意識的に子供をもうけようとしてセックスをしたのではないのに、妊娠した。それでは産もう、といった夫婦も多かったはず。 ところで、何かの調査で日本人夫婦はセックスの回数が一番少ないという結果が出たという。先進国の中であったか、記憶が定かではないが、これも少子化に通じている。
 少なくとも、戦後のベビー・ブームのころの夫婦は、そんなことはなかったと思う。恐らく飢えていたようにセックスをしたのではないか。他に娯楽がなかったので、そういうことになったのか。
 
 動物は飢饉などで生命の危機にさらされると、本能的に「種」を残そうとする。種を残すには、性欲が嵩じなければならない。戦後のベビー・ブーム時代や戦時中は、貧乏で飢えており更に生命の危険にさらされていた。「産めよ増やせ」と国家が拍車をかけていたこともあるが、動物の生存の原理に忠実に従って、「渇望感」の強さが「子だくさん」につながっていた。

 今でも発展途上国ほど、多産の傾向が強い。こうした経緯から、「少子化」の原因は、暖衣飽食にあるといえそうだ。人間も動物の一種だということを、多くの人は忘れている。
 日本の「少子化」を食い止めようとしたら、簡単な方法がある。日本を今のブラジルかポルトガルほどの「貧しい」国にすることである。
 一家に一台のマイカーなどとてももてず、せいぜい自転車ぐらいにし(健康にいい)、食べ物も昭和39年の東京オリンピックのころの水準(健康的には理想の食べ方)にもどせば、「種の保存」の原則に従って自然に子供は増える。

 そんなことは「非現実」と思っている方々、今に見ててください、日本はいずれそういう社会になりますよ。そうなるまで惨憺たる状況になるかもしれないが、惨状を克服したとき、日本は改めて「再生」するのではないか。
 今、景気が上昇したとか、株価が上がったとか報じられているが、そんなものは一時的な花火のようなもの。これから5年から10年後に、お隣の中国で混乱が現実化すると、その余波は大津波のように日本を遅う。
 中国を「大破綻」から救うためにも、日本外交はもっと巧妙な外交をやらなければいけないのに、「中国脅威論」にのって、敵視政策をとるばかり。ボーダレス化時代なのだし、国家の壁をお互い低くする方向で努力すべきなのに、政治家はその反対のことをやっている。
 
 その前に「東海大地震」で多くのマンション、戸建てが壊滅してしまうか。例の耐震構造を偽造して建てられたマンションクラスの建物が、都内には無数にあるようだ。一階部分が駐車場になっているマンションをよく見かけるが、危ないなと思ってしまう。素人目でも危ない建物は散歩をしていると、無数に目につく。
 余談ながら、高校時代、「建築家になろう」と思ったことがる。中学のとき、将来こんな家に住みたいと、自分で「理想の家」を設計したことがある。今思うと、まことにいじましい設計であったが。

  生来オプティミストのぼくでも、近頃の「世相」を見ていると、悲観的になってしまう。
 どこかで記したが、昔、ぼくの敬愛する孤高で、かつ無頼派の系列に位置する作家、石川淳は30年ほど前に「そろそろ人類は滅びてもよさそうだ」とエッセイに書いていた。
 博覧強記で人間の本質を見通していた石川淳先生の慧眼は、当たっていると考えるべきなのだろう。

 今夜は久々に石川淳の小説やエッセイを読みつつ、眠りにつこうか。と思ったのだが、引っ越しのドサクサで、本がどこにあるかわからない。あるいは八王子の、以前、大型の犬が住んでいた犬小屋に入っているかもしれない。段ボール箱、5,60箱にビニールをかけてある。それと裏のボロアパート(現在無人で震度5で倒壊の恐れあり)の納戸のようなところにも、何十箱という本や台本がいれてある。取り出すこともなく、朽ち果てるのでは……と家人は思っているのだろう。
 インドかどこかであったら、死んだ場合、そんな本で焼かれて骨にして欲しい、などと遺言をするのだが。
 万が一、書いた本がベストセラーにでもなって多額の印税でも入り、「グランドステージ」クラスの広い住居を買うことができたら、引き取ろうと思って捨てないでいるのだが、これは宝くじに当たるようなものかもしれない。
by katorishu | 2005-12-23 01:52