クリスマスの「ホーム・パーティ」
2005年 12月 24日
ぼくは一応「仏教徒」なので、キリスト教の宗教行事であるクリスマスを浮かれて祝う多くの非キリスト教徒の行いについては、批判的に見ている。多民族、多文化をかかえるアメリカでは、クリスマスを「ハッピー・ホリデイズ」と呼ぶようになっているとのこと。
ただ、「原理主義的」なものの見方も嫌なので、クリスマスにかこつけて集まるパーティや何かには時間の許す範囲で顔を出すこともある。大事なのは、人と人との出会いである。
本日は押上のデザイナー氏の自宅で行われたホームパーティに行く。カミサンの知り合いで広告関係の仕事をしている人が大半。40代の夫婦が最も多かった。子供も含めて20数人で、その中でぼくは最年長。
夫婦者は全員、子供を同伴。小学生が多かったが、その元気なこと。子供3人という人が多く「少子化」がいわれる中、意外に思った。
「子供3人という人も珍しくないですよ」と参加者の母親の一人。みんな仕事をもちながら、子育てをしており、たくましい。
結婚している人は子供を持つ人が多いということか。問題は結婚しない、結婚できない若者層の増加だろう。
一人っ子は静かだが、兄弟が多いとみんな動物の子供と同じで元気に動き回る。一人昭和30年代によくいた感じの丸坊主の子供がいて目立った。冬でも半袖で通すという。親が指示したわけではなく、本人がそうしているのだという。「目立ちたがり屋だけど、案外、小心なんですよ」と母親。
子供たちが動物の子さながら激しく動きまわり、大声を出したりして遊んでいる様子を見ていると、日本の将来も「やや安心」という気もするのだが。
巷には、子供なしの成年男女が多い。そもそも彼等は「ホーム」パーティなどに出席せず、盛り場にくりだすか、家で一人でゲームをするかテレビでも見ているのか、どうか。
帰宅して見たテレビニュースによると、東京の盛り場の夜は昨日と今日、まるでバブル期を思わせるほどのにぎわいであったという。タクシーがひろえない人も多かったとのことだが、恐らく大都会の一部で起こっている「プチバブル」に違いない。
地方の商店街など、シャッターをおろした店が相変わらず目立つという。最近、「地方」にいったことがないので、自分の目で確かめたわけではないが。
シャンパン、ワイン、日本酒などチャンポンで飲んだが、水も多量に飲んだので、それほど酔わなかった。みんな手料理を持参したり、その家のキッチンで自らつくったり。タコスや麻婆豆腐の元となった雲南の豆腐汁等々、初めて食べる料理も多かった。たまには、こういう集まりもいい。今年は忘年会の類にはあまり行かなかった。
舞台公演の案内がいろいろとくるのだが、すべてにつきあっていると、自分の時間がなくなってしまうので、一部をのぞいて足を運ばなかった。関係者の方々、ご理解ください。