コラム


by katorishu
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クリスマス・イブ、今と昔

 12月24日(土)
 クリスマス・イブであるが、キリスト教徒でもないぼくには何の感慨もなく、いつもと同じ土曜日である。
 以前、昭和50年代頃までは、クリスマス・イブは例えば喫茶店に入っても「クリスマス料金」として普段の倍ほどの料金をとられたと記憶している。

 さらに昭和20年代、30年代は、クリスマス・イブといえば大人たちが盛り場で乱痴気騒ぎに興じる日であった。とんがり帽子をかぶった多数の酔い漢が街をふらふらしながら歩いていた。
 クリスマス・イブは「酔っぱらいの日」と子供心に思ったことがある。
 東京オリンピックが過ぎ、団塊の世代が大人になり家庭をもつようになってから、乱痴気騒ぎも影をひそめ、代わりにマイホーム・パパがケーキを買って帰る光景が、クリスマス・イブの定番となった。
 
 そんな「習慣」が今も続いているのかどうか。電車などでクリスマスケーキの包みをもっている人はひと頃に比べると少なくなった。
 そういえば、ひと頃はバーなどでクリスマスが近づくとホステスにクリスマス・パーティ券を買ってくれとせがまれたものだ。ぼくは滅多にホステスのいるバーなどに足を運ぶこともなかったが、一度か二度、高いパーティ券を買わされた覚えがある。
 恐らく「スケベ心」があったからなのだろう。結局、パーティに行くこともなかったが。

 今の大人たちと、クリスマス・イブに乱痴気騒ぎを演じた大人たちと、どっちが幸せであったのだろうか。当時は今と比較にならないくらい物的に貧しかったが、将来に希望というものは今より比較にならないくらいあったように思える。
 昨日よりも今日が、今日よりも明日が、良くなるという思いは大事である。人はどんなに不幸の中にあっても、明日に希望があれば生きられる。逆に現在はそれほど不幸ではないにしても、未来が暗く閉ざされていると、まともな神経をもっていても鬱になってしまう。

 今年も恐らく自殺者の数は3万を越えるのではないか。その社会が健康で良い社会であるか、そうでないかをはかるバロメーターとして、自殺数というか自殺率をあげることが出来る。
 中国でも自殺者の数は20万を超えると、雑誌かなにかで読んだことがある。人口が日本の10倍であるから、この数字を信じるとして日本よりもましということになる。

 中国の統計には信をおけないところがあるので、この数字よりずっと多いのではないかと思われる。アジアの他の国の自殺率がどうなっているかわからないが、少なくともアジアの「大国」の日本と中国で自殺者がかなりの程度にのぼることは、深く考えさせられることである。

 ところで、クリスマス・イブとは貧しい者に持てる者が奉仕をする日ではなかったのか。「若草物語」にはクリスマス・イブにつくったご馳走を、姉妹の誰であったか、あるいは母親であったかが、自分達は敢えて食べずに貧しい家庭の子にもっていく、美しい場面があった。キリスト教徒のもっとも良い部分を象徴しているシーンであったと記憶している。

 クリスマス・イブという日は、ああいう「奉仕」や「自己犠牲」を、子供たちに教える日でもあって欲しいのだが、日本ではこの日こそ、自分たちが存分に楽しむ日になってしまっている。楽しむこと自体はいいとして、「奉仕」や「自己犠牲」について思いをめぐらし、ほんのちょっぴりでもいいから少しは行動で示せば、非キリスト教徒にとっても意味のある日になるのだが。
 テレビをちらっと見たが、クリスマス・イブにちなむ番組はどこもアホらしくて5分と続けて見ていられなかった。ああいう番組を見続けることを「時間の浪費」という。
by katorishu | 2005-12-25 00:52