忘年会
2005年 12月 28日
夕方、渋谷で今年数少ない忘年会。7人の小規模な宴会だったが、役者、映画のカメラマン、プロデューサー等「業界関係者」ばかり。平均年齢は60近いのではないか。
場所は昭和48年開店の昔ながらの居酒屋。壁に昭和30年代初期の渋谷の街の風景を写した写真が何枚も飾ってあった。
それぞれ豊富な過去があるので、話しははずみ4時間ほどが、またたく間にすぎる。
ここで話題なった映画に「三丁目の夕陽」がある。昭和33年の日本が舞台で、東京タワーができた年を背景に、懐かしい人間模様を描いていることのこと。実はぼくはまだまだ見ていないのだが。29日にキネカ大森に見に行くつもりだ。
見た人はとっても面白かったとのこと。今年の日本映画の収穫ではないかと思う。この映画で印象的な演技をした子役は、ぼくがこの夏上梓した「子役という仕事」にも登場している。
この集まりで初めて会ったドキュメンタリーのプロデューサーから、30日に下北沢で上映される「シャトウオブアジア」という映画と音楽をミックスした独特の作品のことを聞いた。アジアのロックミュージシャンが競演する作品で、面白そうなので見に行くことを約束。見終わって多分また飲み会になる。 27日で、今年の飲み会は終わりかと思っていたのだが、30日も、ということになった。
話のあう人たちとちょっと酒を飲みながらの論断風発は楽しい。次作へのヒントもいくつか得られた。今の時代、五感のうち聴覚と視覚偏重のメディアが隆盛だが、人間も動物の一種なので、やはり五感を使わないといけない。
その点、ナローキャスティングが今こそ必要な時はない。テレビやパソコンなどはブロードキャスティングである。つまりブロード(広く)にキャスト(投げる)するメディアである。これに対してナロウ(狭い)は、例えば寄席に代表されるように、演者の息や匂いなどが感じられる狭い空間で行われるものだ。
飲み屋や銭湯も、その範疇に入るだろう。人と人とのコミュニケーションが希薄になっている時代だからこそ、一層必要であると思う。
ブロードが広がりすぎることの弊害はすでに出ている。来年も狭い空間での人間的な営為を主体にした作をつくっていきたいということで、意見が一致した。