コラム


by katorishu
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目に輝きを

 1月1日(日)
 元旦ということだが、昭和39年の東京オリンピックあたりを境に、日本から「正月」は消えていったとぼくは以前から思っている。
 いまの「正月」は「クリスマス」と同じで、商業主義優先の「お仕着せ」の「正月」であり、単に年始年末の「長い休暇」でしかなくなっている。
 もっとも、夏のお盆休みと同じように、多くの人が一斉に休んで故郷に帰ったり、久しぶりに親戚同士、友人同士があったりして、旧交を温め合う「バケーション」であるのだから、それでいいというのなら、それもいいだろう。

 しかし、これは民俗学者の宮本常一が唱えていた「常民」が心から祝う正月とは似て非なるものだと思う。正月や祭りは、いわば「ハレ」の日であって、そのほかの長い「ケ」の日に対するものとして置かれていた。
 単調で平凡で、ありきたりな「ケ」があるからこそ、そんな日常の束縛や習慣から「はみで」た「ハレ」が意味をもっていたのである。

 食事でも毎回毎回「ご馳走」を出されたら、もうそれは本来のご馳走ではなくなってしまう。今のように毎日「晴れ着」のようなものを着ていたのでは、「ハレの日に着る」晴れ着ではなくなってしまっている。
 経済の高度成長によって「いつでもハレ」の日にしようとした辺りから、崩れはじめてきたという気がする。

 この論を展開すると一冊の本を書かなければならなくなりそうなので、はしょるが、要するに、季節感などもなく、メリハリのないだらだらとした「物的に豊かな」生活をおくるうち、日本の普通の国民のなかでハレとケの区別がつかなくなってしまったのである。

 昔の人々の質素で節度ある「常民の暮らし」から見れば、今は日々が「ハレ」で「祭り」のようなものである。
 季節にかかわりなく食べたいものはなんでも食べられるし、テレビで居ながらにして「豊かな」娯楽作品を朝から晩まで提供してくれる。さらに冷暖房の普及で夏に暑くなく冬に寒くない生活を送れるし、普通の人々が昔であったら王侯貴族のように自家用車をのりまわす。
 それを「文明の進歩」というのだそうであるが、こういう生活の中からは「ハレ」の代表選手である「正月」の感激など芯からわくはずもない。

「もういくつ寝るとお正月」という歌があったが、特に子供たちはあの歌に特別の思いをこめ、本当にわくわくしながら、「お正月」のやってくるのを待ち望んでいたものである。
 大人たちにとっても、正月は「特別なもの」で、松の内は仕事などしなかったものだ。ぼくは実家が織物業を営んでいたので、余計にその印象が強いのかもしれない。
 住居も、今のようなコンクリートの塊の「マンション」などというものがほとんどなかった時代のことである。
 
 柳田国男らが採集している「年中行事」が庶民生活のなかに「生きて」いたからこそ、正月らしさというものが存在した。
 もちろん、ぼくは、「だから昔がよかった」などといっているのではない。「年中行事」が生きていた時代は、戦後にあってもなお「封建的遺制」は生活のすみずみに残っており、今の「ジェンダーフリー」などをふりかざす運動家などが見たら目をむきそうなことも沢山あった。
GHQがもちこんだ「民主主義」の世界になっても、依然として職人の世界には「徒弟制度」が生きていたし、男尊女卑もひどかった。戦争の後遺症で物質的には、今とは比較にならないほど貧しかった。

 だが、封建的遺制が残り、物的には今よりはるかに貧しく、人々はつつましやかに生きていたからといって、多くの国民が今の日本に生きる人たちより「不幸」であったかというと、とてもそんなことはいえない。
 北朝鮮のように飢餓線上をさまようなど論外であるが、私見では人の幸不幸は、「希望」や「感動」のあるなしで決まる。
 GNPがどうの成長率がどうのといった「数字」で決まるようなものではない。明日に希望があり夢をつむげるかどうか。そして、日々の生活に小さな感動があり、さらにたまさかの「ハレ」の日の強い感動があれば、それで人は充分幸せに暮らせるのである。

 今の日本に欠けているものである。「夢」や「希望」が少なく「感動」もあまりなく、ただ、だらだらと日々がすぎていく。そうしてメリハリのない生活が続き、日々腹一杯食えることは食えるので、脂肪過多となって、小太り、大太りが氾濫。肉体ばかりでなく、脳みそにも、べったり脂肪がついているような人も多い。
 そういう人は外見からすぐわかる。「目は心の窓」などというが、脳みそに脂肪べったりの無感動な人は、目に輝きがないのである。

 大人も子供も同じである。感動がないのである。胸がワクワク弾まないのである。だから、死んだ魚の目か、人工的な人形の目をしている。
 なぜ、こんな目の人が多くなったのだろう。なんでも口当たりよく「料理」してくれるテレビや雑誌などの作用も大きいかと思う。すべてテレビや細切れ情報を売る雑誌などが先回りして「解説」「解釈」してくれるので、自分の頭で深く考えることをしないのである。
 
 自分自身の頭で深く考えれば、おのずと他人とは違った見方、見解にたどりついたりする。そこにこそ「個性」が生まれるのだが、個性的でありたいと願いながら、多くの人は「みんなと同じ」でないと不安になるのかどうか、周りにあわせてしまう。
 自分の意見や考えを殺して、他人にあわせることを10年20年続けていれば、早晩、死んだ魚の目か人形のような目をした、「金太郎飴」のような画一的な人間の「一丁出来上がり」である。

 もう、こういう人間はいらない。個性的で、とにかく「目が輝いている」人間が一人でも多く出てきて欲しい……と元旦の「初夢」として思ったことだった。
 そういうぼく自身の目は、どうなのか。死んだ魚の目をしていないか。
 他人の背中はよく見えるのだが、自分の背中はよく見えないので、じつは心許ないのだが。じっさい、加齢故の悲しさで、老眼も進み、眼精疲労もはなはだしく、視力も衰える傾向である。
 加齢故の衰えは生理現象なのでいかんともしがたいが、ものを見る「眼力」だけは失いたくない。脳は使えば使うほど、「容量」も増えるようであるし、パソコンのソフトでいえば、ウインドウズ95程度かもしれないが、なんとかウインドウXPくらいにもっていきたい。

 今の世の中、激変期であり過渡期でもあり、見方によっては面白い。こんな面白い世の中を前にして、目が輝かないなんて、やっぱり「死んだ魚の目」ですよ。
 今年のモットーは「目に輝きを」ということにしますか。
 
by katorishu | 2006-01-02 06:05