コラム


by katorishu
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日本を襲う3つの波

 1月3日(火)
 朝と夜が完全に逆転してしまって、一日の境目がわからない。考えてみると、今年になって一度も新聞を読まず、テレビも見ていない。ウエブ上で二ユースなどを読んでいるので、世の中の動きはだいたいわかる。
 ただ、世の中の見えない部分ですすんでいる一種の「地殻変動」はなかなかマスコミではとらえきれない。
 「地殻変動」については、その道で地道にこつこつと情報を蓄積している研究者やルポライターなどの努力に期待するか、あるいは自分の足で歩き、自分の目で見て判断するしかない。
 同時に、マスメディアに現れた事象の奥にあるもの、行間にあるものを、いかに推理し、いかに読み解くか。今ほど、そんな作業が大事なときはない。

 このごろ中国関連の資料を読み込んでいるが、気になるのは「開発・開放」から取り残された農村部である。
 日本でいえば町や村に相当する郷や鎮(ちん)の惨状は、憂うべきものがあるようだ。村落の役場の職員数は開放政策以降、3倍に増えているそうだが、これが農民の重荷になっている。役所や学校の維持費の多くは、地域の農民の負担で、国家からの支給はごくわずかである。
 そんな中、役場の職員が「役得」で金儲けをし、さらにその上に君臨する地方党委員会の書記クラスが、私腹をこやしたりしている。
 中国は典型的なコネ社会であり、身内を大事にする文化があるので、どうしても「権力者と地方経済の癒着」が起きる。そのしわ寄せは真っ先に数の多い農民にいく。

 農産物の生産性も相変わらず低い。一方で、生活費がかかるようになり、、農民の生活はますます窮乏し、不満がつもりにつもっている。保険に入れないため、医療を受けられずに死んでいく者も多いようだ。(日本でも、最近この傾向が出てきている。無保険者が急増しており、医者にかかれなかったために死ぬ人も増えている)
 人民公社時代のような飢餓はまぬがれているものの、沿海部の「繁栄」のニュースがもたらされるので、特に青年層に、都市との落差に怒りを覚えている層が急増している。
 「虐げられた階級」のために革命をやって多くの血を流したのに、このていたらくである。 
 あまりニュースでは伝えられないが、各種の抗議行動もあちこちで多発している。
 すでに一種の秘密結社のようなものが、ぞくぞくと出来ているとの情報もある。
 
 一方、繁栄している上海や広州なども、基幹産業の多くは外資におさえられてしまっている。
世界貿易機関にはいってから、外資が怒濤のようにおしよせ、国内企業は瀕死の状態である。
 外資にうまくとりいった一部富裕層や華僑関係者と、この恩恵を享受できない者との貧富の差は開く一方だ。
 都市部にも不満がマグマのように深く静かにひろがっている。

 一部の人が先に豊かになり、彼等に引っ張られてほかの多くの貧しい人が豊かになる、といった理論でトウショウヘイの開放政策がはじまったのだが、先に豊かになったひとは「慈善の精神」に乏し人が多く、「貧乏人」など相手にせず、ますます自分たちだけが、より豊かになろうとする。
 経済競争では、我欲の強い人ほど成功者になる確率が高いのである。 日本などでもそうだが、、「勝ち組」は「負け組」のことなど、ほとんど配慮などせず、より多くの利潤をあげるために、しゃかりきになっている。そうしないと、競争に敗れ、破綻してしまう、と潜在的な恐怖感にかられているようだ。

 かくて、今の中国は清朝末期、あるいは革命前夜の状況と似た状態に一歩一歩近づいているようだ。 中国の王朝はつねに「農民反乱」によって崩壊している。希代の独裁者、毛沢東が打ち立てた「中国共産党王朝」も、すでに制度疲労をおこしているというべきだろう。
 どうも、歴史は繰り返すという気がする。

 崩壊するといっても、昔とは違った崩れ方になるのだろうが、崩れたら、その影響をもっとも強くうけるのは、いうまでもなく日本である。
 今後、5年か10年以内に、日本を3つの大波が襲う。ひとつは、中国崩壊の波、ひとつは、少子高齢化の波。ひとつは、大地震などの天災……というのが、ぼくの「予想」である。
 
 歴史を読むとよくわかるが、人類は常に天災や人災の衝撃波に襲われてきた。破壊され、それでもへこたれずに再建してきた。破壊があったからこそ、再建がある。再建のために絞る知恵が「文明」を起こしたというべきだろう。
 そう考えれば、これも歴史の自然の流れなのかもしれず、「想定内」と考えておくべきだろう。
 
 地球的規模で考えれば、人間のやることなすことなど、タカがしれている。
 威張るな人間、おごるな人間、されど人間、である。
 さて、明日から「仕事はじめ」という人が多いのではないか。ぼくのような「自由業者」はコンビニのように「年中無休」なので、本日も執筆や資料読みで、一日の大半はつぶれる。気晴らしにそのへんをぶらぶら歩いたりしているので、人からは「年中休み」と見えるかもしれない。あるいは暇をもてあました年金生活者か。
 幸か不幸か年金などほとんどアテにできないので、毎日、働く。もっとも、半分ほどは「趣味」に近いかもしれない。趣味と聞かれれば、読書、映画演劇鑑賞、ぶらぶら歩き……といったところなので。
 いずれにしても、今年もまた一日一日をじっくりと味わって生きたいものですね。
by katorishu | 2006-01-04 01:57