みんなよく生きている
2006年 01月 05日
本日、今年初めて新聞に目を通す。世の中じつにいろいろなことが起こっているものと、改めて嘆息したり、驚いたり怒ったり。いろいろなところに涙があり、怒りがあり、笑いがあるのだろう。
「みんなよく生きていると思います」と昔、太宰治は書いた。本当にみんなよく生きているものと思う。狭い列島にひしめきあいながら、いろいろと不自由な規則や道徳などに縛られ、生きている。他人をしばり、そうすることによって自分をもしばり、お互い、がんじがらめの「しがらみ」という縄でぐるぐるまきにされ、それでも健気に生きている。
数分おきに発車する電車のダイヤひとつとっても、昔の人から見たら驚異的で魔法のようなものかもしれない。もっとアバウトでいいと思うのだが。列車が一日遅れても、「そのうちくるさ」と泰然としているインド人の鷹揚さ、寛大さに、学ぶぶことも必要ではないのか。
しかし、出来ないのでしょうね、せかせか好きの日本人は。
それにしても、もう三が日が終わってしまった。本当に何にもしないうちに、終わってしまったという気がする。じつは眼精疲労で目が痛くなるほど資料を読み込んだり、一日、パソコンに8時間以上向かって仕事をしていたのだが、何かを「やった」という実感が薄い。
狩りをしたり農業をしたりしていたら「やった」という実感がともなうのだろうが、文筆業などという「バーチャルな空間」でこなす虚業だからなのか。確かに、冷や汗や脂汗は流すものの、体を動かすことによって出る汗は、あまり流さない。
「生物体」として、まともじゃないのである。一種の隠花植物である。動物であったら、モグラのようなものか。
本日は久しぶりに午前中に起床した。じょじょに、昼間起きて夜寝る生活を取り戻したいものだが、さてどうなるか。
明日は午前10時に起きて、国会図書館か大宅文庫にいこうと思っているが、予定通り眠れないと、時差ボケと同じになるので、調べものをしてもはかどらない。そうなったら、やめて映画でも見るしかない。
午後、近所を散策、結局、喫茶店を3軒はしごして、計8時間パソコンで執筆。目はしょぼしょぼ、肌はかさかさ。心はさくばく。