コラム


by katorishu
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年賀状の「誤配」から社会が見える

 1月6日(金)
 昨日、郵便受けに他人宛の年賀状が10数通はいっていた。誤配であるが、数が多すぎる。郵便配達員がいい加減にいれた可能性もある。いちいち宛名の番号の郵便受けにいれなおしたが、逆にぼく宛の賀状が他の人のところに「誤配」されている可能性もある。

 毎年必ずくる人からの賀状がこないし、例年より少なめなので妙だなと思っていたのだが。
品川郵便局に電話をして問い合わせると、やはり高校生のアルバイトが配達をしたとのこと。以前、新聞に賀状がまとまって捨てられていたとの記事が出ていた。アルバイトの高校生が面倒くさくなって捨てたとのことだった。 
 ただ、捨てる場所が川かなにかであったから判明したものの、ダストボックスに何かでつつんで捨てたら、わからない。

 郵便局でもいちいち、ちゃんと配っているかどうか追跡調査をするわけにはいかないので、配達者のモラルに期待するしかないようだが、困ったことである。
 1枚や2枚ならケアレスミスとも考えられるが、10枚以上も部屋番号がそれぞれ違う宛先に入っていたとなると、意識的にやったか、面倒くさいから適当に郵便受けに入れたとしか思えない。
 受け取った人が善意のひとで正しい部屋番号にいれなおしてくれればいいのだが、部屋にもどってから間違っていることに気づいても、つい面倒になりそのまま捨ててしまうケースも十分考えられる。
 そんな具合で、宛先に届かなかった年賀状は相当数あるのではないか。
 
 年賀状など「形式的なもの」だから届かなくたってかまわないと、アルバイトの高校生は思っているのかどうか。厳重に注意をしてほしいと応対に出た郵便局員にいった。
 中には重要な約束事を記しているものだってある。日本の郵便制度は、国民の信頼の上に成り立ってきたのだが、ここも「危ないな」と思ってしまった。

 民営化のあとこういう事態がおきたら「だから民営化はだめ」という意見も起こりかねないので、官制の今も、こういうことが起きていることの証として記しておきたい。

 昔から年末年始はアルバイトの高校生などが郵便局で働いていたものだが、少なくともバブル経済前は、こういうことはあまり起きなかったように思う。
 モラルがあったのである。バブル以降、アンチモラルの行為が目立ってきているようだ。「分からなければ」「人が見ていなければ」ズルや不正をしてもいいという感覚。昔からそういう人は一定数いたが、バブル経済以降増えたように思う。

 バブル期は不動産取引で、今は株の操作で、いとも簡単に年収をはるかに超える金額を生み出せる。そんな風潮を目の前にしてしまったら、まともに8時間働いて、ささやかな代価をもらうことがバカらしくなるのではないか。真面目にこつこつと働く者が不利になり、要領よくたちまわる者が得をする社会は、腐敗がすすみ、最終的には「得」をしたと思っている人間にもそのツケが返ってくる。
 
 「馬鹿正直」や「愚直さ」「真面目さ」は「バカ」……という風潮が底流にあるのだと思う。そんな社会の風向きに高校生が敏感に反応しても不思議ではない。
 わからなければ、発覚しなければ良しとする空気の中で、例の偽装耐震設計問題も起きた。今は表面に現れていないが、数々の社会的な不正、いい加減さがまだ随所に潜在していると考えたほうがいい。
 年賀状の「誤配」からも、今の社会の病理がすけてみえた。
by katorishu | 2006-01-07 01:26