樋浦父娘の『父と暮らせば』を見る
2006年 01月 08日
高円寺の明石スタジオで樋浦勉父娘が演じる『父と暮らせば』(井上ひさし脚本)を見た。
第11回の「高円人展」の特別参加として本日1日だけ上演された。
『父と暮らせば』は井上ひさしの代表作で、映画化もされ、宮沢りえが好演し、数々の賞も受けた。(この作はまだ見ていない)。初演は10年以上前で「こまつ座」によって上演され、すまけいと梅沢昌代が父娘を演じ世評も高かった。
そのときはぼくも紀伊国屋ホールで見た。昭和23年の広島を舞台に「ピカドン」で死んだ父の「亡霊」がリアルな存在感をもって登場し、一人生き残った娘との会話を通して、戦争の悲惨さ、無謀さを、コメディタッチの中に浮き上がらせるものだった。なるほど、こういう作り方もあるのかと感心した。
その後、何度か別の役者が演じた。去年、辻萬長が父親役を演じた作を紀伊国屋ホールで見た。辻萬長は「こまつ座」の柱となっている俳優で、井上作品の常連である。ぼくは彼の出ている作をほとんど見ているが、『父と暮らせば』にかぎっては他の作と比べ、やや彼にあっていないと思っていた。
樋浦親娘は4年前にもこの作を、「民家」に近い小劇場で上演していた。そのときも見たのだが、今度、見て、格段に進歩していると思った。
とくに樋浦氏のお嬢さんの茜子さんが、よかった。父娘とも以前から知り合いなので、終わって開口一番「よかった。とくに茜子ちゃんが素晴らしい」とほめちぎった。決してお世辞でなく、彼女の演技は向上し、舞台女優として確かな一歩を踏み出したと思った。
この作の上演のため、彼女は広島に足をはこび「渡辺さん」という被爆者にじっくり話を聞いたりして研究したそうで、そんな努力が土壌となっている。難しい広島方言を自在につかいこなし、原爆で一瞬にした家族を失ってしまった娘と、あの世から娘のことを心配し励ます父親との気持ちの交流が、鮮やかに浮き彫りされていた。
笑わせて泣かせ、最後にしみじみとした情感を漂わす。エンターテインメントの骨法をおさえた作である。
もちろん戯曲がいいのでそんな感動を与えるのだが、舞台は役者の力も大きい。これが別の下手な役者が演じたら、見ていられない舞台になったかもしれない。
戦争の悲惨さ、平和のありがたさを、「旧左翼」のように声高に叫び、デモをしたりするより、よほど強く実感させてくれる。
さりげない形で訴えるほうが、多くの人の「魂」をゆさぶるのだと思います。
「戦争反対」などといくら声高にシュプレヒコールなどを発しても、多くの人はただ冷ややかに眺めるだけで終わってしまう。
もちろん、井上ひさしは、単に戦争反対のために、この作を書いたのではない。戦後を生きる日本人の魂とともに、人が生きることの喜びと悲しさ……等々、人間存在の面妖さ不可思議さと同時に、人間存在の面白さ、すばらしさをも描いている。
井上作品はいつもそうだが、コメディの正道に従って時代への強い「諷刺」をこめている。権威あるものや強者、権力者を「おちょくり」、どちらかといえば弱い立場の人の視点から、「人間」を多角的に深く描いている。そうして、見るものを楽しませつつ時代の問題点に誘導していく。巧みな作劇術である。
難しい戯曲を見事にこなした樋浦勉、茜子父娘に拍手を送りたい。
樋浦さん、これはもっと多くの人に見て欲しいものです。以前にも申し上げましたが、出来れば全国公演ツアーをされんことを。