川柳の句会に初めていく
2006年 01月 11日
成人の日。初めて川柳の集まりにいく。現代川柳の時実新子氏の主催する川柳ゼミのひとつに横浜ゼミがあり、カミサンが昨年から参加している。ぼくも誘われているのだが、時間の都合がつかなかった。今回、横浜ゼミの人たちと浅草の川柳会との合同の新年会が浅草で行われるとのことで、野次馬根性旺盛なぼくは参加することにした。
前もって川柳を15句ほどつくっていかなければならない。与えられた題は「温い」「脱ぐ」「塗る」で、それぞれ5句。さらに互選の句として「主」を1句。
いつであったか友人がテレビドラマを途中から見ていて「これは香取の雰囲気だな」と思ったところ、最期に流れたクレジットに「香取俊介」とあって合点したと話していた。
俳句を多用した連続ドラマを書いたこともある。下谷出身だという伊東四郎さんの主演で、『ああ単身赴任』というドラマであった。
ところで、川柳はひねりをきかせなければ……という思いがあるので、案外難しかった。5句作れないものもあったが、初めてなので仕方がない。
青物横丁から京浜急行に乗るとそのまま都営浅草線につながる。30分ほどで浅草に。祝日なので人で賑わっていた。まず浅草公会堂に。新春歌舞伎が行われており、開演間近であったので、ここも人で一杯。建物の一角で行われている「浅草女職人展」をみた。その中の一人が浅草川柳会の一人で、ここが集合場所でもあった。
時間があったので、浅草寺界隈を歩く。浅草六区には現在、場外馬券売り場が出来ており、馬券売り場独特の雰囲気が横溢している。この雰囲気は好きではない。
ただ、古い喫茶店がかなり残っているのは、いかにも浅草らしかった。どこも客で一杯ではいれない。花屋敷近くの「ひさご通り」あたりまでくると「一般の観光客」はあまりやってこないので、昔風の喫茶店に入れた。この一角がもっとも昔の浅草らしさを残している。
浅草寺の仲見世を左に折れた一角が伝通院通り。両側に並ぶ店が江戸の雰囲気に模様替えしていた。映画の書き割り風だが、風情はある。写真の通り。周辺をぶらついたが、まだ「日本的なもの」が残っていて、全体に好ましい印象を受けた。
最近あまり目にしたことがない「和服姿の美形」を二人ほど見た。二人とも気品があって、成人式の「制服」のような晴れ着の「その他大勢」の中で際だった。
合羽橋の問屋街の一角にある古い寿司屋の二階が川柳の新年会の会場。35名ほどが集まった。浅草川柳会の平均年齢は高く恐らく70歳を超しているのではないか。川柳の始祖、柄井(からい)川柳の流れをくむとかで、川柳が浅草新堀端(台東区)に住んでいた地名にちなんで浅草新堀阿部川柳会という。
柄井川柳は天台竜宝寺門前町の町名主だった。寺の前に新堀川が流れ、川端に柳が植えられていたので、それに由来して川柳の号がつけられたという。
82歳の高齢ながら現役に仏師である会長の挨拶があって、前もってつくってきた川柳を短冊用の用紙に書いていく。このとき名前は書かない。
題ごとに選者が決まっていて、その人の感性で10句から20句を選んでいくのである。ひとつの題に対して170句ほど、それを短時間で選んでいくので、ぱっと読んだときのひらめきで決まる。
もちろん選者の美意識、好み、物差しが最優先される。
浅草川柳は伝統川柳にのっとり、人情味を大事にするが、現代俳句の時実新子氏の影響下にある横浜ゼミの人達は、ひねりを大事にし、自分の私生活に材をとったものを「良し」としる。価値基準や美意識が違うので、おのずから選ばれる句もちがってくる。
「温い」と「塗る」は浅草川柳側の人が選び、「脱ぐ」は横浜ゼミの世話人で脚本家の杉山昌善氏が選んだ。
ぼくの句も何句か選ばれるかと思っていたのだが、1句も選ばれなかった。カミサンの句が多く選ばれた。最初に作った「あまりひねりをきかせない」句を出していたら、浅草川柳の選者に選ばれる確立が高かったかもしれない。
浅草川柳会の人たちが3分の2をしめており、自然、選ばれた句はそちらが圧倒的に多かった。横浜ゼミの選者の杉山氏の句も1句も選ばれなかった。
飲み物もはいり「互選」の句の選定にはいった。各自のつくった句が模造紙に筆で番号をつけて記されていく。それを参加者全員が投票して秀句を選ぶのである。
一人が3句を選ぶ。もっともよいと思われる句に3点、次ぎが2点、次ぎが1点で、横に該当する句の番号を記す。これには号を記す。号といっても大半のひとは名前である。
ぼくも「俊介」と記した。
そうして合計点が一番多いものを選び出す。カミサンの句が案外好評で僅差で2位になった。ぼくの句は後ろから数えてほうが早いほどだった。
が、お遊びなので選にもれても、屈託はない。浅草川柳の人たちは、ほとんどが職人たちで、3分の2が男。「江戸」の雰囲気を濃厚に残している人が多かった。会長は82歳とかで、まだ現役の仏像職人。余興で太棹の三味線で津軽じょんがらぶしを夫婦で演奏した人も80過ぎで、現役の鞄職人だった。この方は歌舞伎の口上をさびのきいた声で披露したりした。
ほかの人達もほとんどが現役の職人ということで、飲み歓談した。最期はカラオケになったが、スナックなどのカラオケと違って彼等の生活感が出ていて、面白かった。
なにより、「生涯現役」という点が素敵だと思った。「われわれ文筆業も定年がないし、同じですね」と意気投合した。ぼくは酒に弱いので「お湯割り焼酎」とは名ばかりの「お湯」をもっぱら飲んで歓談し、4時間ほどがまたたく間にすぎた。
終わって二次会にいき、さらに歓談。こういう集まりもたまにはいいと思ったことだった。