ライブドア社長逮捕
2006年 01月 24日
夕方、外で原稿執筆して帰宅すると、ライブドアの堀江社長逮捕のニュース。案外、早かったという印象を受けた。テレビでは街の反響をだしていたが、「ホリエモンを目指してきた」「ファンであっただけに残念だ」「がんばって」という若者の声が多く聞かれた。恐らく昨年の総選挙でこの種の若者が、自分たちの欲求不満を解消してくれると期待して小泉自民党に一票を投じたのだろう。
そうだとすると浅はかとしか言いようがない。あまり本も読まず、歴史の動きなどにも無知な人たちが、比較的多く小泉政権に投票したと思うのだが、愚かなことである。
彼等は率直にいって、「食い物」にされただけではないのか。
歴史的に時の権力者、支配層、既得権益層にもっとも痛めつけられてきた層が、自分たちに惨状をもたらした者の正体がわからず、これを熱狂的に支持することがしばしばあった。
その典型例である。こういう事態になったことの背景には、テレビの影響力がある。多くの雑誌や本さえもが、テレビの影響力のもとにある。テレビで取り上げられた物よく売れるので、ますますもてはやされる。物を人と変えても同じである。戦後、日本人はもう少し利口になったと思っていたのだが、やはりバカは相変わらずだ。
一握りの「小利口」な連中にいいように動かされている。動かされていることに本人が気づかないのだから、始末に悪い。
「バカは死ななきゃなおらない」と浪曲の広沢虎三は十八番の「森の石松」のくだりで名台詞をはいたが、それは現在も生きているようだ。
額に汗して働いている職人の中には案外、冷静に冷徹に事態を見ている人が多い。楽をして儲けようとするヤカラに限って、金の亡者になっているため目先の「儲かるか儲からないか」の観点でしか物を見ることができないので、かえって事の本質がわからなくなる。
今回の堀江氏逮捕は、いい教訓になったではないか。しかし、喉もとすぎればなんとやらで、またぞろ、人の隙をついて大金をせしめようとする人間は出てくるのだろう。その種の阿漕(あこぎ)な人間で未だ犯罪が発覚していない人は相当数いるに違いない。
その点、アウトローを自認しているヤクザのほうがまだマシというもの。
エコノミストと称する人は恐らく本人もかなりの株をもっているに違いなく、「日本経済のファンダメンタルはしっかりしているので、この影響は限定的」といって、なるべく影響を矮小化しようとしているが、そうだろうか。
折から、耐震設計偽造問題やアメリカ産牛肉問題が浮上し、小泉政権は相当のダメージを受けている。もうひとつ何か不祥事が起これば小泉政権の支持率は劇的に落ち、「政局」になるに違いない。
おごる平家は久しからず。去年の選挙で「歴史的な勝利」を得たことの反動が、今年中にやってくるだろう。一時的に混乱に見舞われるかもしれないが、政権交代により、本当の意味の「構造改革」をやらないと、日本はずるずると奈落の底に落ちていく。
若い人にかぎらず、このブログを読んでくださる人、どうか楽をして大金を儲けようなどと考えず、額に汗して真面目に働く中に何か生きる喜びを見いだしてください。地道にコツコツ、これが一番強いのです。そうして「勝ち組」「負け組」などという嫌な言葉を流行らせない社会にしたいもの。
足を知るという言葉が日本語にはあった。武士は食わねど高楊枝とか、やせ我慢という言葉も日本にはあった。それを「死語」にしてはいけないのだと思う。
良い意味の武士道がすたれて、「稼ぐが勝ち」の価値観が日本中を覆ったのは、田中角栄氏が首相になり「日本列島改造論」を打ち出したころからだろうか。公共事業に湯水のように税金をつぎこみ、日本中を金太郎飴のようにしてしまった。
その流れが頂点に達したのがバブル経済で、今度逮捕された「青年」たちは、バブルの中で精神形成をとげてきた「団塊ジュニア」に入るか、それに近い人たちである。
一旦、骨の髄にしみこんだ価値観は、ちょっとやそっとでは抜けていかないもの。拝金教徒として洗脳されてしまった人たちから、どう洗脳を解くか、これからの日本の大きな課題である。