昔の文学仲間の孤独な死
2006年 01月 27日
■夜、昔の文学仲間のUさんからの電話で、やはり文学仲間であったTさんの訃報を聞いた。本日、自宅で死んでいるのを「発見」されたということだ。死後、かなりの時間がたっていたようで、現在、警察の検視を受けているとのこと。
T氏は10年ほど前に「丹沢文学」という同人誌を年に6回発行し、新しい才能の発掘と同時に自らの作品の発表舞台として、ずっと続けたいと話していた。相談を受けたとき、「それはいいことだ。ぜひやるべき」と勧めたことを覚えている。
夫婦で小さな印刷所を経営しているので「安価」で雑誌ができると話していた。出来上がった雑誌は、ぼくにはやや不満で表紙もよくない……と年上のT氏にいいたいことをいったが、彼は彼なりの「美学」で意志を貫き出し続けた。
同人誌で年6冊というのは無理があるし、原稿を精選したほうがいいと申し上げたのだが、彼はこれでいいと思っていたようだ。図書館に置いてもらったり近所の書店に置いてもらうためには、年に6回出すことが必要であるという話も聞いた。
校正や割付などの編集作業は、ほとんど夫人がやっていたときく。その過労があったのかどうか、先年、夫人が他界した。一人になったT氏は相当精神的に参っていたようで、雑誌発行もとどこおり、去年の秋ごろから連絡がとれなくなったとのこと。
「文学観」の違いもあって、Tさんとのつきあいは絶えており、消息を知らなかった。詳細はわからないが、一種「自殺」に近い死に方であったのではないか。
20数年前、大和市にあるTさんの自宅に、やはり作家を志していたAさんと一緒に泊まりにいったことがある。ぼくと同年のAさんは10年以上も前に「志」をとげずに病死。ほかにも、ぼくと当年で「文学青年」であった人たちがいるが、ごく一部の「志」をとげた人はともかく、不器用な生き方しか出来ない人も多く、みんなあまり幸せそうな「終わり方」ではなかった。
ほとんどは「純文学教徒」とでもいってよい人たちだった。文学に「純」も「不純」もないと思うのだが、「純」という言葉を好む日本人気質の延長なのか、「純」にこだわり「純」に殉じた人がぼくの周囲にはかなりいる。
家族などからは、冷遇視された人も多く、もし、本人が他の分野で文学にかけるのと同じくらいの努力をしたら、それなりの業績を残せたのに、と思うこともある。
でも、仕方がないのかもしれない。「普通の生活」がしにくいからこそ、よりどころとして、才能のあるないにかかわらず「純文学」を信じ、それをよりどころに生きようとしているのだから。
ま、傍目にはどう映ろうと、案外、本人は満足であったのかもしれない。それなら、よかったと思うのだが……。
文学を映画や演劇に置き換えても同じかもしれない。
昔、丸谷才一がゴーゴリ全集の宣伝パンフに「ゴーゴリを読むな」といった短文を書いていた。詳しい内容は忘れたが、ゴーゴリなどを読んだらあまりの面白さに文学に淫してしまい、その後、不幸な人生を送りますよと逆接的に語っているのだった。
それほど、かつては文学には魅力、魔力があった。今、それは「過去」のものになりつつある。(じつはとっても面白いものも数多くあるのだが、横着になった現代人は読むのに骨が折れるから読まないのですね)今は、「演劇」と「映画」が文学にとってかわっているようだ。
志をとげず中途半端な人生を送ってしまう映画、演劇人も多い。金儲けを人生の目標にする「守銭奴」「成金」よりずっといいと思うのだが。
いずれにしても、悲しいことだが、人はみんな死んでいく。Tさんに合掌。
■本日はまた、「ガンジーの会」2周年の記者会見が四谷の喫茶店で行われた。友人の文芸評論家の末延氏が発案したもので、「イラクへの自衛隊派遣反対、ハンスト・マラソン」というもの。
中心メンバーは週に1日、24時間、水以外になにも飲食せず、ガンジーを真似て市民の「不服従運動」としてインターネット上で反対の意志表示をする。末延氏は当初「芸術家グループ」によびかけた。
そんなことをしても何にもならず「自己満足」でしかないと当初思ったが、「友だちのよしみ」と「好奇心」から参加した。他の人はともかく、ぼく個人は暖衣飽食の「文明世界」に「これでいいの、欲望を抑制しないと大変なことになる」という思いをこめた「文化運動」と位置づけていた。
というより、週に一回ぐらいは「食欲」という欲望を敢えて絶つことで、地上にたまさか現れた人間という「怪物」について考えるよすがとしたかった。
2年間続けてきて、曲がり角にきているなと思う。少々、つかれてもきた。
友人だから率直にいうが、末延氏がしばしば使う「(九条の)永久護持」とか「絶対平和」なる言葉に、ぼくは距離を感じてしまう。そんなものがあるのかいな、と反論したくもなる。あまり「崇高なこと」をしているという意識はもたないほうがいい。本日の記者会見には信濃毎日と時事通信の女性記者がきていた。
末延氏の意見に、思わず「ぼくの考えは少々違う」などといってしまった。数多ある「既成組織」のように「一丸となって」「みんな同じ」ということには、生来あまのじゃくのぼくは抵抗を覚える。 異論反論いろいろあるにしても一致できる点がひとつでもあれば、それを絆として、なにかに向かって一緒に歩く。インターネットを基本にした「運動」なので、それでいいのではないか。あまり生真面目すぎると息がつまる。「遊び」の要素も必要である、と生来アバウトなぼくは思うのである。
出席した記者氏は、なるほどと納得したように、ぼくは感じた。
仕事の打ち合わせがあり途中で退席しなかればならなかったが、もし、末延さん、このブログを読んでいたら、貴兄の「正義感」「じっくりと燃やす情熱」を評価した上での発言でですから悪しからず。
「物書き」として常に「自由」でいたいというのが、基本的なスタンスである。思ったこと考えたこと感じたことを、素直に口にしたい、そのためにこそ選んだ職業なのです。