コラム


by katorishu
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楽な生き方は感動が薄い

2月21日(火)
 図書館と自宅で終日、執筆。予定通り進まないのは毎度のことだが、最近どうも書くのが遅くなったような気がする。早く書くのがいいわけでもないが、脳機能の衰えなのか、と思ってしまう。
 脳を活性化するためには、人とあって話をすることが必要だ。ただ会ってだらだらと緊張感のない会話をつづけていても駄目で、ぼくの場合は、取材で初対面の人、それも少々あつかいずらい人を相手に、押したり引いたりしながら情報をとったり、仕事の打ち合わせとか、一定の緊張感をもって知恵を出し合ったり、議論をしたりするのがいいのだろう。
 
 図書館にいつ行っても来ている人がいる。40代後半から50代半ばと見られる人も多い。まだ引退する年齢ではないし、ぼくのような「自由業」でもなさそうだ。とにかく「時間をつぶしている」ようなのだ。数ヶ月前に会ったときより、疲れているようで冴えない顔つきの人が多い。「リストラ」という名でクビを切られた人だろうか。あるいは事業に失敗した人だろうか、などと思ってしまう。
 お世辞にも身きれいな格好とはいえないし、行き場がないので、ここにいる、という印象だ。

 昔から図書館にはよく足を運んでいるが、この10年ほどで、以前とは明らかに様子がちがってきている。
 日本社会がおかしくなっていることの、ひとつの現れではないのか。「格差社会」もそのひとつだろう。こういう社会に拍車をかける政策を打ち出した張本人の小泉首相は、
「そんなことはない。これまでが悪平等だったのだ。成功者を嫉妬する社会になっている」 といった意味のことを話していたが、勘違いもいいところだ。
 権力の味や人を煽動する技術については、よくわかっているのだろうが、人間のことをよくわかっていない人だ。
 
 人それぞれ能力も努力の量も質も違うのだから、「差」がでるのは当然で悪いことではない。問題なのは、「差」が大きすぎるということだ。「わずかの差」が「極端な差」を生み出すシステムが出来つつある。竹中大臣等は意図しているのかどうかわからないが、結果として、日本はそういう社会になりつつある。
 憂慮すべきことである。
 なぜ、憂慮すべきかというと、「極端な格差」は「格差」を固定する方向に働き、多くの人間を「努力してもしょうがない」という気持ちにさせてしまう。
 「世襲」というのも、典型的な「格差固定化」のシステムである。
 以前、日本ではどんな資産家でも、三代たつと相続税で消えてなくなるといわれたものだ。ジイさんの代で繁栄していても、せいぜい孫の代までしか「美田」は伝わらない。それでは困るという、努力せずに「いい暮らし」をしたい層が、相続税の逓減を主張したり、節税という名の脱税をしたりしている。(封建時代は「格差」固定化の典型的社会だった)

 ぼくの知る範囲では、ジイさんの時代から、「結構すぎる遺産」を受け継いだ孫やひ孫で、多くの人から尊敬されたり意味のある仕事や成果をあげた人はほとんどいない。
 昔の人は「子孫に美田を残すな」といった。大いに意味のあることなのである。
 年寄りを、とにかく「楽に楽に」とさせ、毎日ご馳走ぜめにしてみるとよい。病気になって早死にするか、惚けてしまう。
 
 子供や若者では、影響はもっと顕著で深刻だ。
 人間も所詮動物の一種なので、「飢えている」のが正常なのである。だからこそ、努力もするし、知恵もしぼる。それが脳や体の活力をたもつことになる。
 楽をしてはいけません、生きている限り。絶対的な楽をしようと思ったら、永眠することです。これほど楽はことはない。人は誰でも必ず永眠という楽土に至るのだから、そこに至るまでは、せいぜい汗をかき、体を使い、知恵をしぼり、悪戦苦闘しつつ、その中にたまさかの喜びを得たいもの。
 平凡な例えだが、車やケーブルカーで山に登るのと、下から歩いて登ったのとでは、頂上についたときの感激、感動は天と地ほども違う。苦労して得た果実はうまいのです。
 こんな当たり前のことを忘れている人が、多すぎますね、このごろは。社会の根っ子が腐っている証拠である。
by katorishu | 2006-02-22 01:22