楽をすると脳機能が退化する
2006年 03月 06日
クリエイティブな能力とは、要するに脳機能の能力のようだ。脳科学者の築山節氏によれば、前頭葉の選択・判断・系列化する力や記憶を引き出してくる力、話す力、聞き取る力……等々そういう個々の脳機能が一定以上のレベルに鍛えられ、バランスよく使うことができるようになったとき、初めてクリエイティブな才能を発揮できるということである。
そのためには、日々、どのようなことをしたらいいのか。
基本的なことは「楽をしない」ということに尽きるようだ。物書きで、書けなくなった人のケースを見ると、生活があまりに単純化していることが多いという。
ひとつの仕事に専念しようとして、それ「以外」のことをする時間を極度に少なくし、一日中パソコンや原稿用紙に向かっている人がいるが、それは自ら機能を低下させているようなもので、書けなくなるのは当然だという。
他の仕事でも同じことである。
脳にとっては「この道一筋」はよくないのである。
会社に勤めながら優れた仕事をしたクリエーターがいて、若いころはお茶くみやコピーとり等々雑用をこなしながら、少ない時間をやりくりして「良い仕事」をした。その結果、出世して専用の個室をあたえられ、「雑用」などをしないで、クリエイティブな仕事に「専念」するようになった。とたんに、クリエイティブな仕事がまったく出来なくなってしまったという。
その人がクリエイティブな能力を発揮している源になっていた「雑用」をなくしてしまったからである。
一見無駄と思えるような「雑多な」ことを日々こなすうち、自然に「総合力」を鍛えられ、「高次脳機能」がアップするようだ。
昔の人は今のように便利で楽ではなかったから、生活のなかにいろいろ脳機能を鍛える作業があった。
そういえば、昔の子供は玩具を自分で作って遊んだ。今のようにお仕着せではないので、そこらにあるものを工夫して玩具をつくった。作るプロセスが面白く、自然に脳機能が鍛えられられたのである。
自慢をするわけではないが、ぼくは子供のころ、玩具はほとんど自分でつくったと記憶している。竹藪へいって竹をとってきてノコギリで切ったり、錐で穴をあけたり、小刀で削ったりして、刀や竹とんぼ等をつくった。
御神輿なども、自分でつくり、近所のガキを集めてお祭りごっこをやった。太鼓は自分では作れなかったが、カネや笛ももちろん自分でつくった。たまたま家業が織物業であっったので、いろんなものが転がっていたということもあるが、子供のころ、日々、そんな遊びをしていたからこそ、大して才能もないのに「文筆業」を20数年続けていられるのかもしれない。
最近、20代、30代で、脳がフリーズしている人が増えているそうだ。そんな人に共通しているのは、「単調な生活」である。長時間パソコンにむかうIT関係者なども、脳の一部は過度に使っているが、生活は単調そのものであり、本人が気づかないうちに脳機能jが低下する。
要するに、脳はまんべんなく使わないと、ダメなのである。自分の足で歩き、自分の目で町や村を見て、いろいろな人にあい、よく話し、よく聞き、時に議論し、考え、感動したりすることは、全部脳の機能とつながっており、自然に脳を鍛えていることになる。
そうして、一見「無価値」と思える情報jを集めて脳の記憶に蓄積する。クリエイティブな脳は、そんな土壌の上にあるようだ。
ぼくの独断ではなく、脳科学者の築山氏が書いている。
要するに、楽をしたり、誰かにやってもらったりすることがよくないのですね。労を厭うな。これは生きている限り大事なことのようです。
で、労を厭わず、本日も、「ジョイントゼミ」で、17歳、19歳、21歳、21歳、27歳の俳優、脚本家志望の若者と4時間ほど一緒に過ごした。
日頃使わない脳機能を使ったはずで、週に一度ぐらいは、こういう若い人と接することも必要であると思ったことだった。