自分を「実験動物」と見る
2006年 03月 09日
午後起きて軽い食事をしたあと、自宅、喫茶店2軒、また自宅と場所は変えたものの、ずっと仕事。夕食を食べることは食べたが、味もわからない。
仕事といえば、もちろん、原稿書きとその関連の作業である。対象にのめりこむと、時間の経過に気づかない。気がついたら、10数時間たっていた。
それで、いいものが書けたかというと、別問題である。エネルギーの投下に見合わないのが、「作品」というもので、面白いところでもあり、辛いところでもある。
過日、初めて脚本を書いた若い人がいた。21歳の青年で、こちらが与えた「課題」をシナリオで自由にかく……ということで、張り切って書いたのだろう。「書いているときは、すごい作品ができる」と思ったという。書き上げたあとも、「これは傑作だ」と自画自賛したという。
ところが、ぼくが欠点を指摘して、平凡すぎる、紋切り型、ストーリーを脚本形式に置き換えただけ……と指摘すると、だんだん自分の書いたものが、傑作でもなんでもなく、平凡そのものに思えてきて、目が覚めたようで……と話していた。
初めて書いて、傑作が出来たら、誰も苦労はしない。
20年以上、この仕事をやり続けてきても、「これはいいものになる」と思って書いてもあとで読み返して、ダメだこりゃと思うことは、しばしばである。
昔に比べれば、だいぶ「落差」は減ったが。
ま、しかし、熱中しなければ、良い作はできないし、そもそも最後まで書き通せない。
昔、勤めながら原稿を書いていたころ、机の原稿用紙からふっと顔をあげると、外は明るくなっていて驚いたことがしばしばある。勤め先へ行くまで数時間ある、といっても脳が興奮しているので、すぐには眠れない。
ハルシオンでもあったらよかったのだが。結局、ほとんど一睡もしないまま仕事に行き、当然のことながら脳は疲弊しきっているので、ミスを犯す。20代の後半から30を越えてくると、焦ってくる。とにかく「作家」になる、と思いこんでいたので、自分より若い人が華々しく登場してくると、焦りが増す。
今から考えると、ばかばかしいことで、人は人、自分は自分であり、マイペースでやればいいのだが、若いということは、ある意味で「バカ」なので、そんなさとった気分になれないようだ。
しかし、焦って書こうとするから、良いものは書けない。睡眠時間を削るので、脳が疲れ、また勤め先の仕事にミスが多くなる。すると、早くこの悪循環を脱しなければ、と焦り、一種あり地獄のような気分に陥っていたときがあった。(要するに余り才能がないからで、天才は違うのでしょうが)
いっそ勤めを辞めようと何度も思ったが、妻子を養う必要があったので、なんとかとどまり、書く方向を変えていった。
もしあのとき一人ものであったら、とっくに日本を飛び出していただろう。
その先に何があるかわからないが、とにかく、自分を「異界」に放り込んで、そこで「生きて」みる。自分を一匹の「実験動物」にたとえて、どう生きていくか、自分で自分を実験し、追跡してみようかと真剣に思っていた。
もう、その気力も意欲もないが、心の片隅で、まだ自分を一匹の「実験動物」として見ているところがある。
日本という「フィールド」で、お前はどう迷いつつ生きていくのか……そっちじゃない、こっちだ、あ、そこを曲がって階段をのぼって……おっと、落とし穴だよ……さけて、今度は盗みアシで……でも、お前は、一体なにをやろうとしているのだ、どこに向かおうとしているのだ。わかりませんね、東アジアの情勢、あるいは中東情勢のように。一寸先は闇。昔の人は本当にいいことをいう。
たまには、立ち止まって、いろいろ来し方行く末を考えてみることも必要のようですね。