コラム


by katorishu
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

ラジオドラマは奥が深い

3月24日(金)
■乃木坂の「はあといん乃木坂」で日本放送作家協会の理事会。月1回行われいつもは六本木の事務局内だが、本日はそのあとのイベントがあるので、乃木坂で開催。
 16時から引き続き同じ建物内で「第34回創作ラジオドラマ脚本懸賞」公募の「贈賞式」。優秀賞の一人と、佳作の二人に賞が贈られた。大賞は30代半ばの女性。佳作は40代の主婦と30代の予備校講師。そのあと立食の地味なパーティになったが、3人とも挨拶がとてもうまかった。手練れのプロのようなうまさではなく、初々しさの中にユーモアを織り込んでしゃべる。脱線しがちなぼくなど真似ができない。

■ラジオドラマを聞いている人はマニア的な人に限られてきているようだが、意外に深い世界を描ける。(現実に放送されている作品が深いかどうかは別にして)テレビが現れる前はラジオが主役で、連続もの単発ものを問わずラジオドラマが毎日のように放送されていた。芸術的深い内容のものもあったが、大半は娯楽作品だった。例えば『君の名は』など、放送当時「風呂屋が空になる」といわれたほどだ。夜の8時台であったと思うが、その時間国民の多くが「風呂にいく」のをやめて聴き入ったのである。よく古き時代であったといってよいだろう。
 ぼく自身、記憶に残っているのは、第一回江戸川乱歩賞の受賞作『猫は知っていた』(仁木悦子)。確か連続ドラマで放送されており、猫の鳴き声が最初にはいり、それを聞いただけで怖かった。
 
 当時の視聴者は、みんな台詞と音楽、音で強くイメージを喚起させ、ドラマの世界にひたり、主人公と共に笑い共に怒り、共に涙したりした。受容力がそれだけ強かったのではないか。
 今、ラジオドラマを聴いて、当時の人たちのように「感受する力」があるかどうか。ラジオドラマは音だけでイメージを喚起しなければならないので、受け手の「イメージ喚起力」が影響する。感受する力がなければ、作品の良さなど味わうべくもない。

 イメージ喚起力に頼るということは、それだけ「抽象性」が高い証拠である。ラジオを「古いメディア」と考えている人がいるかもしれないが、とんでもない。「可能性のメディア」と敢えて呼びたい。さらに抽象度が高いのが活字で書かれた小説等であるが、こちらも、受け手の感受力が劣化しているようで、内容を十分に読み取れない人が増えているようだ。

 イメージを豊かに喚起する力がなければ、「猫に小判」である。ラジオと活字。ともに抽象度が高いメディアなので、より深い表現が可能なのだが……。
 現状は淋しい限りである。「映像時代」とやらでこの二つが軽視されつつある傾向はよいことではない。言葉や音を軽視するところからは、豊かな映像表現も生まれない。
 ラジオドラマをたまには聴いてみてください。残念ながらNHK以外はほとんど枠がありませんが。ラジオドラマがもうすこし見られるようになれば……というぼく自身、最近ほとんど聴いていないのですが。
 これを機会になるべく聴こうと思っています。
by katorishu | 2006-03-25 00:06