コラム


by katorishu
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ユダヤ人を救った1500枚のビザ

 3月25日(土)
■物事、特に数字を伝える場合、誇張したり逆に過小にしたりする場合が多い。よく反政府系の集会やデモについて、「主催者側発表」と「警察側発表」では倍ぐらい違うケースがある。
 「南京大虐殺」の被害者数なども、日中の学者研究者によってかなりの差がある。当初、3万人といっていたのを、10万20万と増えて30万というのが今の中国当局の「公式見解」である。一方、そんな多くの「非戦闘員」があの当時、南京城内にいたはずがないという意見が日本の研究者、ジャーナリストなどから出て、まだ論争は続いている。

 戦時中の、それも公式の記録が残っていない出来事について、特に「数字」を特定することはむずかしい。しかも、何十年という時間がたってしまうと、関係者の記憶も曖昧になる。
 3月24日、興味深いニュースを読んだ。
 第二次大戦中、リトアニアの領事代理として、ナチス・ドイツに追われたユダヤ人難民に日本通過査証(ビザ)を発給して多くのユダヤ人を救い「「日本のシンドラー」と呼ばれた元外交官の故杉原千畝氏に関することである。

■氏は「6000人」のユダヤ人を救ったとされ、映画やテレビドラマになり、「日本の誇るべき人」として世界に広まっている。杉原氏は本庁の了解ももとめずユダヤ人にビザを発行したことで外務省から「懲戒処分」された、と杉原氏関係の本ではなっているが、このほど政府は、「定説」であった外務省による懲戒処分はなかったことを明らかにした。
 24日の閣議で決定した鈴木宗男衆院議員の質問主意書に対する答弁書で示したとのことだ。
『1940年に在リトアニアの領事代理だった杉原氏は、殺到するユダヤ人難民に独断でビザを大量発給。このため47年の帰国後、訓令違反として処分を受け退職に追い込まれたとされていた。
 これについて答弁書は「(外務省の)指示要件を満たさない者にも発給した」と「違反」があったことは認めた。ただ外務省の保管文書で確認できる範囲では「懲戒処分が行われた事実はない」とした上、杉原氏は「47年6月7日に依願退職」したとしている。
 退職理由をめぐっては、91年に外務省が「終戦直後の人員整理の一環だった」と表明し杉原氏の名誉回復を図っているが、答弁書は「確認するのは困難」とした。
 また杉原氏が実際に発給したビザについては「保管文書では、杉原氏は『リトアニア人とポーランド人に発給した通過査証は2132件、そのうちユダヤ系に対するものは約1500件と推定される』と報告している」と明記した。』(共同)

■ぼくは杉原千畝氏についてのラジオドキュメンタリーに関わったことがある。構成者として昭和が平成にかわる時期にかかわったのだが、そのときのタイトルは、『ユダヤ人を救った1500枚のビザ』であった。この作は平成元年ラジオドキュメンタリー芸術作品賞を受けている。
 当時調べたり、杉原氏夫人にインタビューした(これは別の方がした)範囲では、「救ったユダヤ人の数は1500人ほどであった」ということだった。
 この作あたりが契機となり杉原氏の名は次第に世間に知られていき、夫人および関係者が著書をだし、映像化したりして今や教育の現場でも語られる著名人となっている。

■ところで、杉原氏本人は生前、ビザ発給のことを公にすることはなかった。第二次大戦後、杉原氏夫妻と数ヶ月起居をともにして日本に帰還した人にルーマニア人のタチヤーナさんという人がいる。タチヤーナさんは戦前、ルーマニアで日本人駐在武官と結婚し、その縁で戦後、日本に住むようになったのだが、タチヤーナさんは杉原氏の「美談」や終戦前後の杉原氏について、
「あまり良い感情」をもっていないようだった。
 じつはタチヤーナさんは、ぼくのロシア語会話の先生でもあり、以前、ノンフィクションの取材のとき、直接、杉原氏のことを聞いたことがある。

■杉原氏が「美談」に値することを行ったことは事実であるが、ぼくは数字がちょっと気になった。当初「1500枚」が、「4000枚」から、さらに「6000枚」にと、どうしてふくれあがっているのか。杉原氏は現在、イスラエルから「諸国民の中の正義の人賞」を受賞しており、イスラエルやアメリカでは「英雄」である。
 ところで、杉原氏関係の著書の巻末に杉原氏の経歴が載っているが、なぜかぼくがかかわったラジオドキュメンタリーの『1500人のユダヤ人を救った1500枚のビザ』は省かれている。ほかの著書などは記されているのに。
 一応、「芸術作品賞」をとった作なら、載せると思われるのだが、1500では都合が悪いと関係者が思ったのかどうか。残念ながら、そのときの杉原氏夫人の声を録音したテープや資料類はどこかにまぎれこんでしまい出てこない。
 杉原氏の件については、ユダヤ系アメリカ人の女性研究者からインタビューを受けた。その後、彼女は労作を本として仕上げ、贈っていただいたのだが、きちんと読む時間もないまま引っ越しなどのどさくさにまぎてれ、本がどこかにいってしまった。(部屋は資料類はごったごたなのです)

 1500人がなぜ6000人に増えてしまったのか。数字の誇張があったのか、なかったのか。あるいは、「新資料」が出てきたとでもいうのか。
 今回、外務省で出した「答弁」の内容は、平成元年当時、ぼくも把握していた。関係者はどうしても「期待値」が加わるから、「数」が実際より、上回ったり逆に下回ったりする。
「美談」の背後には何かがあり、作られたもの、仕掛けられたものが多い、というのが、ぼくの基本認識である。一人の人間をとっても、多面性をもっており、「悪そのもの」がいないのと同様「善そのもの」もいない。
 別に杉原氏の業績にケチをつけようというのではないが、南京大虐殺などの問題で「悪の数字」が変わっていくように、「善の数字」もかわっていくのだなア、と思ったことだった。
by katorishu | 2006-03-26 15:14