ジェネレーションギャップ
2006年 04月 11日
■いつの時代にも「世代間の溝」、ジェネレーション・ギャップというのはあるもので、新しい世代が古い世代の価値観を乗り越え、新しい価値を加えつつ、文明を進化させてきた。
基本的に正しい流れだと思うのだが、小泉政権が出来てから「妙な現象」が起きている。
年配層より、20代、30代の若い層に、小泉支持者が多いようだ。別にぼくが調査をしたわけではなく、新聞雑誌などで知る限りのことだが。
■時の権力者で、一種「独裁的な」力をもつ人間に対する支持が、若年層でこうも多いと、心配になる。普通、若者、青年層はときの「権力」に反対し、これを乗り越え、自分たちが「理想」と考える方向に進むのだが、その逆の現象が起きている。
青年層が、ときの「権力」に圧倒的支持をあたえた国や時代を、歴史上に例をとると、毛沢東が文化大革命を指導していたころの中国と、ヒトラーがヒトラー・ユーゲントを基盤に「第三帝国」を築いたナチス・ドイツがあげられる。
いずれも「青少年層」の「圧倒的支持」を得、「旧世代」をバカにし、軽蔑し、圧殺しさえした。
その流れの行き着くところは……述べる必要もないだろう。
■いずれも「伝統文化」への反発、嫌悪が底流にある。文化とは伝統の上になりたつもので、「先人」の積み上げたきた成果を理解し尊重するところから始めなくては、うまく育っていかない。
文化という土壌に、「古いものへの敬意」が内包されているのである。時とともにシステムは制度疲労を起こすもので、変えていくことは大事であるが、「破壊」のほうに軸足を置いてしまうと、弊害ばかりが生まれる。
前の時代が「とんでもないシステム」で誰が見ても「おかしい」「へんだ」というのなら、徹底的に壊して再構築する必要も出てくるだろう。しかし、70年代、80年代の日本は、今振り返ると、そんなに「悪い社会」ではなかった。なにより国民の9割が自分を「中流」と思っていた。これは大変なことである。
■言論の自由が保障された社会で、こういう国は歴史上、かつてなかった。十分、世界に誇ってよい国であったはずだ。もちろん、日本の経済的繁栄の裏に「泣いている国」や国民があったかもしれないが、そこそこ世界へも貢献していたし、なにより多くの国民が明日に「夢や希望」を抱いて生きていた。
■なのに、誰がこういう国を壊してしまったのか。徹底的検証がなされないまま、突然変異のような「小泉内閣」が生まれ、予想に反して長続きしてしまった。
それで、日本の美点が多く生まれたら大変結構なのだが、この5年ほどで進んだのは「日本のアメリカ化」であり、日本の美点、伝統などがいろいろなジャンルで壊れている。
■若者、青年層の「欲求不満」を「追い風」にしたり、これを利用してのしあがる組織、人間たちには、警戒の目を向ける必要がある。
ヒトラーと毛沢東という20世紀を代表する独裁者は、これを極めてうまく巧妙に利用した。
そろそろ小泉内閣は終わるが、次に出てくる人も、現段階では、「小泉的なるもの」の継承者である可能性が強い。
■ヒトラーや毛沢東の台頭したときと、もちろん時代も環境も違うが、どこか似た匂いは感じ取れる。共通しているのは「知的」なものへの嫌悪ないし、回避である。
青年層にも読書家はいるが、全体的に見ると、映像や音楽には比較的よく接するが、活字、それもちょっと堅い内容の本には最初から取り組まない人が多い。かわりに漫画で代用している若者が多い。
ほんとうかどうかわからにないが、現外務大臣は漫画ばかり読んでいて、ほとんど活字を読まず外務省の役人たちも、困惑していると……週刊誌に出ていた。
麻生外相は、「活字世代」に属すると思うのだが、もし、漫画ばっかりでまともな本も読んでいないとしたら、こういう人物を外交の最高責任者としておいておくことは「国益」に大いに反する。
■麻生氏は吉田首相の孫だが、吉田茂の長男の吉田健一は英文学者であり、名エッセイストであり、文芸評論家である。博覧強記で、無類の読書家。小説家しても、独自の生き方をした人だが、父親のあとなど継がず、「反骨」の冴えを見せた。
■漫画と耳学問で入ってくる知識だけでは、深みのある思考はできないだろう。欧米の政治家には(ブッシュをのぞいて)、読書家も多く、文化、文学、音楽、絵画などにも造詣の深い人が多い。基礎的な「教養」があるのである。
外交はある意味で社交であり、文化、芸術について語れなければ、会話自体が成立せず、バカにされる。吉田首相の孫という「毛並み」の良さは国内では通じるが、海外では通じない。漫画しか読んでいないという報道が、虚偽であることを願いたい。
■欧米のビジネスマンには、深い教養をもった人が多く、社交の場で、自国の文化はもちろん、世界文学や演劇、伝統文化等について一家言をもっている人が多い。一方、日本のビジネスマンはそういう「一般教養」が少なく、語学力の貧困さもあって、ビジネスをはずれると、会話、対話の出来ない人がおおい……とひと頃、いわれており、その通りであったと思う。
■政治の世界には「政治屋」が多すぎ、「ステーツマン」といえる政治家は極めてすくない。政治家は「哲学」をもっていなくてはならないのだが……。
小沢民主党が、再出発をした。小沢氏は口べたで、テレビ映りもよくないが、小泉ファッション過多、ワンフレーズ・丸投げ得意人間とは違って、それなりの「哲学」をもっていると思いたい。
「翼賛政治」を打破し、一握りの「勝ち組」ではなく、多くの国民が、日本に生まれ、生活して「良かった」と思える社会を、取り戻して欲しい。
繰り返すが、国民の9割が自分を中流と考えている社会は、たいした社会である。それを「努力した者が報われる社会」などとアメリカの受け売りで、日本のアメリカ化をすすめる竹中某大臣。そのほか、有象無象の「小泉チルドレン」。こういう人たちに政治をまかせておくと、「文化」はどんどん壊れていき、社会からモラルがなくなり、日本が日本でなくなる。
金持ち、貧乏人……等々いろいろいていいのですが、「品性のない」人が多数派になり、のさばるのは、少なくとも、ぼくには我慢なりません。「品性」というと、誤解されるかもしれませんが、人間としての「品格」です。最近は「けものような人」が多すぎます。「けもの」は我慢をせず、節度を守りません。
若いお方、なにをやってもいいのですが、どうか「品格」だけは失わないでください。