コラム


by katorishu
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反抗期のない中学生

 10月4日(月)雨。
  親に反抗しない中学生が増えているという。ほんとかいな、とぼくなど思うのだが、産経新聞(10月4日)のウエッブ版によると、中学生の8割が親との関係は円満だと考えている半面、この年代に特有の「反抗期」の傾向が失われている実態が、教育シンクタンク「ベネッセ未来教育センター」(東京都多摩市)の意識調査から浮かんだという。
 関東地方に住む中学生千数百人に調査をしたということで、家庭で過ごす時間について半数を超える中学生が「のびのびできる」「安心できる」「楽しい」と回答。「退屈」「イライラする」「孤独」など否定的な回答はどれも半数以下であったとのこと。
 親との会話は「父親とよく話す」が26・7%、「母親とよく話す」が54・9%。「親は自分を理解している」と答えたのは70・6%で、「親とうまくいっている」は父親とが77・7%、母親とは87・4%を占めた。「今と同じ家庭に生まれ変わりたい」(46・6%)が「生まれ変わりたくない」(21%)を大きく上回り、親を肯定的にとらえているという。

 現状を肯定的にとらえているのだから、結構なことと思う人がいるかもしれないが、ぼくは大いに問題であると思う。
 現に、この調査を実施した深谷昌志・東京成徳大学教授はこう指摘したとのことだ。
「これが小学生高学年の調査なら全く問題ないのだが、中学生になると、親に依存していた子供は親を疎ましく感じたり目障りに感じるもので、こうした反抗期固有の傾向がうかがえない。これは高校生への調査でもみられる傾向だ。家庭が円満なことを否定する必要はないが、反抗期は子供が精神的に自立する上で不可欠な過程だ。近年の、友達同士のような親子関係や、親元を離れない『パラサイトシングル』などの現象と無関係と思えない。反抗期が消え、ゆるやかに成長するスタイルが定着したともいえるが、反抗期を持たない子供がどう自立するのか心配だ」としている。

 人は、例えばライオンが兄弟同士、じゃれあい、餌をとりあいつつ成長していくように、子供のころ兄弟喧嘩をしたり、ガキ大将の理不尽な行為に対抗して知恵をしぼったり、さらには親との葛藤、反抗という「成長のプロセス」をへて、成長していくものである。
 子供から大人になっていくための「トレーニング」であるといってもよい。反抗期をへない人は、ある種のトレーニングをへずに大人になってしまったようなもので、ぼくにいわせれば「生物体」として、どこかひ弱でイビツなのではないか。

 別に自慢をするわけではないが、ぼくなど中学高校時代、父と祖父とへの「反抗」でエネルギーの半分くらいを費やしたほどだ。「物わかりのよさ」とは対極にある頑固一徹な父であり祖父であった。父にはずいぶん殴られもしたが、父や祖父の論理を論駁するため、ぼくなりに知恵を絞った。
 もっと物わかりの親であったら、どんなにいいかと何度も思ったが、あとから考えてみると、あれも一種の「通過儀礼」であり「トレーニング」であったのだと思う。
 父や祖父に対する「反抗期」を通じて、日々、デベートの訓練になったし、忍耐強さや、粘り、不条理さも学んだ。そして、ある時期をすぎると、ふっと「反抗」もやんでしまった。
 安保闘争について連夜議論したことなど、今となるとある懐かしささえ覚える。父はシベリヤ抑留者で「共産主義教育」を受けた果てに日本に送り返され、戦後の価値観の急変した社会になかなかとけ込めず、かなり屈折していた。一方、祖父は封建道徳をたっぷりもっている人で、靖国神社を崇敬し、「今の若いもんはなってない、徴兵制がないからだめだ」と主張する人だった。母や祖母は、まったく自己主張をしない人たちで、そこがぼくの「逃げ所」になっていた。
 あの「反抗期」がなかったら、今の自分はなかったであろうし、現状維持に甘んじ、強い者に唯々諾々と従う人間になっていただろう。
 
「金持ち喧嘩せず」という言葉がある。以前と比べ、物質的には確かに「豊か」になったので、現状に満足しているということなのか。
 江戸時代のように長く太平楽の時代が続くのなら、それも結構だが、今、世界は激変期を迎えており、当然、日本も激変の渦にまきこまれる。一寸先は闇の世界が訪れる可能性も強い。そんな時代を「反抗期」をもたず、親に寄生するという甘ったれた、軟弱な精神で、果たして乗り越えていけるのか。
 ぼくは、深い憂慮を覚えてしまう。若者の特権は、既成の価値観への挑戦であり、それこそが社会の数々の歪みを是正してきた。時がたつと、是正した結果のシステムが、また新たな歪みを生む。そうなったら、あとに続くものが、その歪みに反抗して……といったふうに、家庭内にあっても、ごちゃごちゃやって、怒ったり、泣いたり、笑ったり、悲しんだりしながらやってきた。つまり若者こそ「社会の活性剤」であり「浄化剤」である。

 人間一人一人が欲望をもち、感情もさまざまである。多くの人間が群れ集まって暮らしているのだから、そこに対立や軋轢、感情の齟齬があるのは当然で、それをその人なりの才覚や努力で乗り越えたとき、達成感が生まれ、生きる喜びがあるのだと思う。
 「反抗期」のない人生は、車で山にのぼるようなものだ。ガソリンが切れたり車が故障したりしたら、山へ登れない。車がスムースに動いて上れたとしても、苦しさがないかわりに、喜びの感覚も薄い。
 足で歩き汗水たらして頂上を極めたときに飲む一杯の水のうまさ。このニュースに接して、ぼくは、そんな水のうまさを、ついぞ味わえない人間が、今後、大量にでてくる嫌な予感にとらわれた。
by katorishu | 2004-10-05 02:29