コラム


by katorishu
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海外でも話題の「格差社会」

 4月18日(火)
■日本の格差社会についてニューヨークタイムスが書いていたという報道があったので、ウエブ上でニューヨークタイムスの該当論文を読んでみた。(インターネット時代ならではの利便さで、こういうことは以前はありえなかった)。日本の新聞雑誌などで記されていることとほとんど同じ内容だが、このことがニューヨークタイムス紙で報じられたことの意味は重い。

■世界には、この記事を読み、「一億総中流」といわれた日本社会が変質し、アメリカ型の「弱肉強食社会」に移行したと受け止めた人も多いのではないのか。
 日本がダメになっていくプロセスと受け止めた人もいるはずである。以前は、日本型経営を目指せとばかり、海外から経営者が大挙して日本を訪れ「日本の経営」を学び、日本の「強さ」の理由は中流階層が圧倒的多い点であると指摘したりした。終身雇用や年功序列も、それを裏打ちしていた。マレーシアなども「ルックジャパン」という政策を打ち出し、日本に学ぼうとしていた。

■今、日本に学ぼうなどという国はどこにもない。(カネを引き出してやれという国はあるが)つい20年ほど前の日本は、教育もゆきわたり、治安もよく、モラルもあまり悪くなかった。社会を比較的肯定的に見ている大量の数の「中間層」があったからこそである。
 文化を実質的に支えるのは「中間層」である。この層がなくなることの意味は大きい。
 
■日本は戦争の惨禍からはい上がり、営々として「平等社会」を築いてきた。「平等」というとすぐに「悪しき平等」という言葉を持ち出す人がいる。その面は確かにあるものの、それは「是正」ですむことである。
 アメリカからの要請のもと、「悪しき平等」を崩せとばかり、しゃかりきになっている小泉・竹中路線。「格差があるのは当然だ」と小泉首相は国会で先日も答弁していたが、「格差がありすぎる」のが問題なのである。

■一部の人が「先に富めば」経済全体をひきあげ、全体が富む……などと御用学者がいっているが、中国でもトーショヘイが「先富論」をかかげていた。中国の例でいえば、そういう都合のいい結果になっていない。先に富んだ者はさらに自分たちが富もうとし、多くの貧乏な層のことなどほとんど考えていない。
 人はそれほど高潔ではなく、程度の差こそあれ種々の我欲のかたまりである。中国では、先に富んだ者が、子や孫に富を世襲し、特権層が生まれている。
 日本でも税制の改正などで、同じことが起ころうとしている。

■富んだ層が、いい意味の「貴族化」し、文化のパトロンのような存在になって、文化の向上につくしてくれるのならまだしも、日本の今の成金たちは、「精神貴族」からはほど遠い人が大半である。ときおりテレビなどに出てくる「セレブの集まり」などにでている連中の顔を見ればわかる。
 とても文化芸術のパトロンになれる存在ではない。カネはもっているかもしれないが、品格をもっていない。バブル経済の時代、取材等もふくめて「バブル紳士」の生態に触れることがあったが、眉をひそめることがあった。アイフルとかの高利貸しが最近、業務停止になったそうだが、成金は所詮、成金である。高利貸しは所詮、高利貸しである。

■ニューヨークタイムスでは、日本で、不安定な形で働く若者たちが、フランスのような抗議行動を起こさないのは、彼等の多くが親と同居したりして、つまりパラサイトしているために、「自分のやりたいことが出来ている」ので、それほど強い不満が表に出ていないのだとしている。
 しかし、彼等の親の世代にしても、すべてが彼等をずっとパラサイトさせておくほど、金持ちではない。
 多くの若者が「趣味を優先して生きよう」という名目のもと、「その時代でなければ」身につかない体験やキャリアを身につけずに、30歳、40歳になってしまうと、深刻な事態が起こりかねない。彼等の親も高齢化し、いつまでもパラサイトをするわけにはいかなくなる。
「老老介護」の問題も出てくるし、会社員でいえば彼等がこのまま40歳、50歳になったとき、「正社員」と「非正規社員」との間で、所得格差は一層拡大するだろう。

■「開発途上国」でよく見られる状態を同じような現象が起きるような気がしてならない。
 こういう問題ひとつとっても、日本は今、大変危ないときにきている。
 そういう視点から、千葉の補欠選挙の行方を注目して見ている。
 多くの人に「日本は変わった」「よくなった」を思えるような社会、多くの人が「明日に希望を持てるような」社会を期待したいのだが……しかし、と残念ながら留保をつけざるを得ない。

■生き物に「寿命」があるのは当然だが、火山などにも「寿命」があって、活火山からやがて休火山になる。同じように民族にも寿命があるのですね。日本は「青年期」はもちろん終わり、「壮年期」もそろそろ終わりで、すでに「老年期。火山でいえば、休火山になりつつあります。
 個々の人間や組織には、旺盛に活動するところがあるにしても、全体として見れば、衰退へとまっしぐらではないか。
 
■人口はすでに去年あたりから減り始めているという。いったん減り始めると速度は速くなる。人口が減る国は衰退に向かうというのが、歴史の教えるところである。
 地上の人口は過剰なので、「減って結構」という人がいるかもしれないが、「自分一人が楽しければあとは野となれ山となれ」で、果たしていいものかどうか。
 大袈裟にいえば、現在生きている人は「命を過去から未来へバトンタッチ」している存在でもあるのだということです。だから、もっと子供を産めなどと、どこかの単細胞の政治家のようなことをいっているのではありません。
 
■子供や孫の代、さらにその子供や孫と……ずっと続いていく「命」があり、一人一人が、そのランナーであるこを忘れてはいけないのだと思う。
 だからこそ、ケチでどうしよもない煩悩や我欲にかられた「人間」ではありますが、多少とも後世に託したり、後世に恥じない生き方としようとか、後世に残すものをつくろうとか、いろいろと考えるわけで、そういう気持ちなれば、すでにそこに「伝統」が生まれ「文化」が生まれつつあるといってもよくくらいです。
 どうも「文化」を生み出す芽がなくなっているようなので、本日は坊主の説教みたいな内容になりました。今あふれているのな「カネに結びつく文化」ばかり。人も組織もふくめカネをもっている連中の精神の問題だろうと思います。
by katorishu | 2006-04-19 01:38