コラム


by katorishu
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いつの間にか警戒厳重な社会に

 4月19日(水)
■日本の海上保安庁の測量船が韓国の主張する排他的経済水域(EEZ)で測量などの調査を行うことに対し、韓国はもしその水域に進入した場合、拿捕なども辞せずと警告している。
 韓国海洋警察庁は警備艇約20隻を竹島周辺海域などに展開させ、非常警戒態勢に入った。
 こういう島があることも、昨年初めて知ったが、領土問題は当事国同士ではなかなか解決しない。国際司法裁判所で判定してもらうがいいと思うのだが、確か韓国側が拒絶していると、ぼくは記憶している。現実に韓国が「実効支配」しているので、厄介である。国際法的にどうなのか。
国際司法裁判所で判定してもらうことを、韓国が拒んでいるとしたら、おかしい。日本政府にしても、これまでなぜこの島を「放置」してきたのか。正当な領土であるなら、強く主張すべきだろう。

■脚本アーカイブズの件で、汐留の日本テレビに7人の委員で赴き、氏家会長と会う。趣旨には大いに賛成とのことで、とりあえず一歩前進したが、実現までの道のりはそう簡単ではない。
 驚いたのは、警備の厳重なこと。館内に入っても、何度もチェックを受ける仕組みだ。番町にあった旧日本テレビには何度も足を運んでいるが、以前はあまり警備が厳重ではなかった。
 いろいろな施設が、とにかく警備厳重になっている。

■30年以上前のことだが、霞ヶ関にある通産省の食堂に時々、昼食を食べにいったりしたが、ノーチェックだった。ぼくが10数年間、在職していたNHKの食堂なども外部の人が誰でも入れた。警視庁などはさすがにチェックされたが、多くの公的施設が開放的であった。
 信じないかもしれないが、かつて内幸町のNHKには泥棒が2ヶ月すみついていたことがあった。中には食堂はもちろん、売店や理髪店、風呂、仮眠室もあるので「生活」できるのである。生活費は給料日に背広の内ポケットなどにいれてある給料袋を盗ってまかなっていた。当時は袋に入った現金が給料日に支給されており、背広を椅子などにかけたまま、外へいったりする人も多かった。そういえば、給料日には近くにある小料理屋やバーのマダムとおぼしき人が、何人も廊下に立っていた。ツケをもらうためである。
 彼女たちの姿を見て、ああ、今日が給料日であったかと思ったことだった。

■以前、三軒茶屋のコーヒー店で仕事をしていたとき、3人の老人が隣で話していた。「昔はこのへんの家で鍵をかけている家は一軒もなかったよな」という声が聞こえた。鍵などかけずに外出しても、安全であったのである。考えてみると、ぼくの実家でも夜は鍵をかけたが、昼間鍵をかける習慣はなかったように思う。
 良い時代であったというべきだろう。当時は一家に一台マイカーというわけにもいかず、海外旅行などもそう簡単にはいけず、普通の人がブランドものを持つ事もできなかったが、社会におおらかさがあった。日本は世界に稀にみる安全な国で、自殺者なども今ほど多くなかった。

■当時と比べ、確実に住みにくい国になっている。当時を知らない「若い人」は可哀想でもある。こういう国にしてしまった大人、とりわけ、国の舵取りをしている与党議員や高級官僚たちに多くの責任がある。
 日本の問題は戦後一貫して「アメリカ問題」であるともいえる。依然としてアメリカの強力な基地があり、日本はアメリカの植民地とはいわないまでも、強い影響下にある。アメリカの意向を無視してはほとんど何もできない状態が敗戦後ずっと続いているのである。

■ぼくは物心ついたときに、すでにアメリカ人を毎日のように見る「基地周辺」に住んでいたので、アメリカには複雑な感情を抱いている。記憶の一番深いところにあるのは、米軍機による夜間の空襲である。その次の記憶は米軍の戦車が横浜に上陸し、立川・横田基地に向けて地響きをたてて移動していく姿だった。3歳であったが、記憶に残っている。
 その後も、アメリカ人の生活ぶりはよく目にしていた。丸々肥え太って明るいアメリカの同年の子供たちに対して、こちらは空きっ腹をかかえた欠食児童。この連中によって、多くの日本人が殺された……という気分も胸のどこかにあった。原点に、そんなこともあるので、素直にアメリカ万歳などといえはしない。

■中国や韓国の人間に比べ、日本人はほんとうに「忘れやすい」国民だと思う。いつまでも憎しみを抱けといっているのではない。良いこと悪いことも含め、もうすこし、過去を思い出し、今と未来を考えるヨスガにして欲しいのだが。
 得だからといって、力のある者にすりよっていく人があまりに多い。
 やせ我慢も、日本の美徳であったはず。「ギブミー・チョコレレート」といって進駐軍に群がる日本の子供のことがよく語られる。大して誇るべきことでもないが、ぼくは一度もそういうことをした覚えがない。恐らくそういう機会はあったと思うのだが。

■本日、日本テレビのあと、委員各氏は文部科学省にもいった。「ゆとり教育」を推進したT氏にあい、脚本アーカイブズの件で相談。T氏も大いに乗り気で、いろいろと有益なアドバイス。
 T氏はいわゆる「官僚タイプ」からは外れたタイプで、世態人情に通じた人という印象を受けた。「脚本・台本を保存するシステムがない。そのシステムをつくらなくては」というと、これまで会った人の大部分が「それはいい。賛成」といってくれるのだが、金銭がともなうとなると及び腰になる。むずかしい問題である。

■アーカイブというのは、古い文書を保存することだが、これも「過去」を忘れず教訓を未来に生かすことである。日本は諸外国に比べ、アーカイブズの機能が恐ろしく貧困である。アメリカはさすがで、どれほど自国に都合の悪い情報でも、とにかく残す。日本では消滅させてしまう。
 リーダーが平気で自己に都合の悪い情報を消滅させてしまうことに、一般の国民があまりに無神経である。そろそろこういう無神経はなくして欲しいと思うのだが、国民性なのかなと少々諦めの境地でもあります。
by katorishu | 2006-04-20 00:53