『ウルトラ・ダラー』の通俗性
2006年 04月 29日
■連休の始まりとのことだが、もう何十年となく「毎日が日曜日」あるいは「毎日が仕事」といえる生活を送ってきたので、「連続して休み」という実感はない。テレビを見たり、人にあったり、本を読んだり、ぼんやりものを考えたり、そのへんをぶらぶら歩くのも広い意味の「情報収集」であり、仕事の一環である。最近は書いたものがなかなか「形」にならないので、他からは「仕事をしていない」ように見えるかもしれないが、ホテルにカンヅメになったりして脚本を書いていたころと、「仕事」に費やす時間や労力は、それほど少なくなっていない。ただ、社会への「露出度」となると、5分の1にも満たないのではないか。当然、収入にも敏感に反映し、幸か不幸か「質素」で「節度ある」生活を余儀なくされる。
■今日は、朝まで本を読んでいたので、起床は16時、すぐ暗くなってしまう。インテリジェンスに興味を持っているので、元NHKアメリカ総局長の手島龍一氏の話題の作品『ウルトラ・ダラー』(新潮社)を読了した。北朝鮮の偽ドルつくりの海外での背景を、アメリカのシークレット・サービスの職員の目で追った「ノンフィクション・ノベル」というふれこみだった。手島氏が佐藤優氏との対談で本の概要に触れていたので、品川駅構内の本屋で買って、期待して読んだのだが。
昨日の「道草日誌」に「面白い」と書いてしまったが、酔っぱらっていい加減に読み始めたときの雑感であり、読了したあとは違う印象だ。昨日の記述は否定したい。(そのまま残しておきますが)。
■「小説」にしたため、恐らくは小説を初めて書くに違いない手島氏の小説書きとしての「文章力」に、やや問題ありと感じた。これはぼくの推測だが、素材が一冊の本になるほど集まらないので、小説ということにし、通俗ロマン小説の男女の関わりなどを加えたのではないのか。
加えた部分があまりに「紋切り型」「通俗的」で、辟易した。後半以降、北朝鮮の工作員がパリの運河を舞台にウクライナの巡航ミサイルを受け取ろうとする際の緊迫したやりとりは面白かったが。男女関係の描写になると、やたらと衣料と食べ物のブランド関連の描写が多い。
■ノンフィクションで一冊にするには素材が少ないので、小説仕立てにして、あとは「推測」で補うことは、よくあることである。そのため「ノンフィクション・ノベル」という形にすることもある。
ぼくも以前、あるノンフィクションを書いた際、素材が少なすぎるので「小説仕立て」にするしかないと思ったことがある。その後、なんとか参考資料等で補強してまとめたが、ピントが合わないものになってしまった。ノンフィクションの場合、素材が少ないというのは致命的だ。対象が過去の人物で資料等も限られていると、ますます難しい。
現代物なら、さらに時間をかけて素材を集めることも可能かもしれないが、時間や費用の関係で、そうもいかないことがある。
■『ウルトラ・ダラー』はベストセラーとのことだが、やはりいわゆる「ベストセラー」は「ベストセラー」であると思った。手島氏は、取材力や人脈がいろいろとあるであろうし、こういう薄められた作ではなく、足で歩いて集めた資料をもとにした骨太のノンフィクションで書いて欲しいものだ。
アメリカが泥沼のようなイラク戦争にかかわっている間に、東アジアでの存在感が薄れ、中国が台頭し、東アジアの軍事バランスが大きく崩れている、と過日、手島氏はテレビ朝日の『サンデー・プロジェクト』で指摘していた。それはそれで説得力があった。
■手島氏はアメリカのペンタゴンやCIAなどに知り合いも多いと思われるし、書きにくいかもしれないが、元アメリカ特派員らしく、「事実」にもとずく「調査報道」で東アジア情勢の問題点を浮き上がらせて欲しいものだ。小説仕立てで書くことに、意味を認めないわけではないが、フレデリック・フォーサイスの一連の国際情報小説のレベルに達していない。
もっとも、ぼく自身、以前『Jの影』(角川書店)と『ロシアンダイヤモンド』(徳間書店)の2編の『国際情報小説』のジャンルに入る作品を書いているが、今読むと汗顔の至りである。「小説」を書くのはそれほど難しくないが「佳い小説」「読者を引き込み最後まで一気に読ませてしまう小説」を書くのはじつにむずかしい。ひとの作についてあれこれいうのは、簡単なのだが