コラム


by katorishu
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

『私の頭の中の消しゴム』と『アメリカン・ビューティ』

5月5日(金)
■子供の日である。数十年前までは東京でも郊外にいくと大きな鯉のぼりがいくつも見られたものだが、最近は商業施設があげる鯉のぼり以外に、大きく、高く、風になびく鯉のぼりを見ることはない。子供の日の行事も遠い日々になってしまった。そういえば、我が家でも祖父が太い竹竿をたてて鯉のぼりをあげてくれた、という記憶がある。ついでに日章旗もあげていた。(幸い戦災にあわなかったので、戦前からの鯉のぼりの類があったのです)

■20分ほど歩いて入ったコーヒー店で、レンタルビデオ屋で借りた韓国映画、『私の頭の中の消しゴム』を見る。「感動の純愛ドラマ」といったキャッチコピーで盛んに宣伝されていたのは知っていたが、よくある「お涙ちょうだい映画」かなと思っていた。
 携帯パソコンにイヤホンをつないで、4,50センチの距離で117分の作を見たのだが、これがなかなか良かった。イ・ジェハンという人の初監督映画で、主演は大工にチョン・ウソン、令嬢にソン・イェジン。美男美女のカップルが出会い、親の反対にあうが結婚する。大工は建築士の資格をとり、幸福そのものの生活が展開されていくかに見えたとき、妻が若年性のアルツハイマーにかかってしまったことに気づく……。

■次第に記憶を失っていく若い妻と若い夫の心情が、感動的に、過不足なく描かれており、佳品だと思った。「許すとは心の部屋とひとつ開くこと」といった心に残る台詞がいくつもあり、素直に映画の世界にひたれた。
 2001年4月から日本テレビ系列で放送された、永作博美、緒形直人主演のTVドラマ「Pure Soul ~君が僕を忘れても~」を元に作られたとのことだ。このドラマをぼくは見ていないが、ドラマの中で「私の頭の中には消しゴムがあるの」というセリフがあり、それがそのままタイトルとして使われているとのこと。

■日本テレビのドラマは連続ドラマであり、どういう作りになっているのか知らないが、こういう形で韓国映画の佳品が作られるのも、いいことだ。映画は一個の完結した世界を切り取ってお入り、改めて韓国映画の力を感じた。
 オーバー演技で、感情移入がしにくい(日本の)テレビドラマが氾濫しているが、この映画のように静かな中にジワリと情感のわいてくる作はなかなか見られない。もっとも、この種の作品は暗い映画館で見ないと本当の良さは伝わらないかもしれない。パソコンの画面でも、イヤホンで視聴したので、作品にひたることができた。韓国映画の作り手の層は厚い。国家が支援して法律でハリウッド映画の進出を抑制したことが実っている。
 なんでもかんでも「既成緩和」をしてアメリカ資本の自由になることは考えものである。

■敗戦後、間もなくGHQはハリウッド映画の制作部門まで日本に進出させようと意図していたようだが、日本の心ある映画人が必死になってとめたと聞いている。(拙作『マッカーサーが探した男』の主人公、浜本正信氏から直接聞いたと記憶しています)
 終戦直後、ワーナーやコロンビアといったアメリカ大資本の映画会社が日本に進出していたら、黒澤映画や小津映画、今村映画等も生まれなかっただろう。

■なんとか日本映画の制作という線は維持できたが……その後の「映画黄金期」に映画関係者の多くは「おごり高ぶり、観客をバカにした」ようなところもあり、テレビによって席巻されてしまった。その後、日本映画の水脈は続いているのだが、映画館では、相変わらずハリウッド映画偏重である。(あちらはカネをかけているので、面白いものも多いのですが)
 韓国のように、映画館で上映する作品の一定割合を「邦画」にしたら、ちがった状況になっていくだろう。もっとも、そうやって底上げしないのでは、アメリカ映画に負けてしまうというのも、残念なことではあるが。

■昨日はDVDで、アメリカ映画『アメリカン・ビューティ』も見ている。これは以前、ビデオで見たが、二度目でも、新鮮な驚きがあった。
 アメリカの都市のごく普通の市民が普通の毎日を送るなかでたまっていくストレスが、家族の間にマイナスの相乗効果をあげていき、最後には隣家をまきこんだ「悲劇」に発展していく。コミカルな描写のなかに、アメリカ文化の「夢の終焉」といったものをシニカルに描いた佳作である。

■ホームドラマの一種だが、意外性やドンデンに満ちており、最後まで引っ張る。ここまでの悲劇に至らなくとも、日本の家庭でも起こりうる事態……というところが怖い。
 主人公レスターには、『ユージュアル・サスペクツ』でアカデミー賞助演男優賞を受賞したケビン・スペイシー。妻にはアネット・ベニング。いずれも心憎いばかりの演技である。イギリス演劇界の新進気鋭の演出家サム・メンデスが初監督。タイトルの"アメリカン・ビューティー"とは、妻が庭で栽培する米国産の赤いバラの品種名だという。
 こちらは見終わって『私の頭の中の消しゴム』のように「爽やか」というわけにはいかない。現代人の陥っている状況について、いろいろと考えさせてくれた。要するに「あとに尾をひく」作品だが、これも映画の効用のひとつである。

■つづけて映画の佳作を2本見たことになる。目を現実の世界に転ずると、思わず目をそむけたくなることばかりだが、虚構の世界の良さをあらためて実感した。対象に素直に没入しているとき、ちょっぴり「少年の心」になっている。こういう時間が必要であると、あらためて思ったことだった。
by katorishu | 2006-05-06 03:45