年中行事の衰退と画一化
2006年 05月 07日
■浅草下谷神社の祭りにいく。神社の近くに住む知人の家に10数人が集まって、飲み会。こちらがメインのようではあったが。ぼくの生まれ故郷の八王子をよく知る同年配の建築士がきていて、懐旧談ができた。昭和30年代までの八王子にしかなかった「お十夜」などについて。念仏行事の一種だが、境内にかかるサーカスや見せ物小屋、露天などは夢幻的、幻想的で、当時の多くの人の夢をさそった。
近郷近在から数十万人の人があつまり人口が何倍にもなったのではないか。「お十夜」という言葉だけで共通の空間が思い浮かぶ。ぼくにとっては一種江戸川乱歩の世界のようでもあった。アセチレンガスのもとに浮かび上がる、妖美さをともなったあの空間の空気はなかなか伝えにくい。昭和30年代半ば、舞台の大善寺が区画整理などでよそにうつされ、自然消滅してしまった。
■ところで、ビルと御輿は似合わない。木造の建物があり生け垣や板塀があってこそ、御輿も映えるのだが。都会では望むべくもない。
最近、地方の祭りを見ることもないが、まだ地方には昔の風情を残す祭りが残っているのだろうか。町や村の景観が急速に失われ、もう取り返しのつかないところまで来ているのではないか。
■その地方、その町独特の景観の喪失とともに、コミュニティも喪失し、今や日本全国、金太郎飴のような類似の町並みになっている。どこへいってもコンビニで同じものが売られ、同じテレビが見られ、同じように人々が反応する。戯画的なまでに画一化がすすんでいるのだ。
さらに効率化をすすめ「便利で快適な」社会を……と各界のリーダーたちは声高に叫んでいるが、こういう方向に社会が進んでいって、はたしていいのだろうか。
■一見「快適で便利」になったようだが、じつはそのことで大きなものを日々失っている。
こうやってパソコン画面にむかえるのも、近代文明の発展のおかげであり、天に唾するようなものかもしれないが、一人一人が激しく回転する「文明」という歯車に、ブレーキをかけなければいけないときにきているようだ。
■産業革命などでアングロサクソンが科学文明を推進させたけれど、進めすぎて、破局の方向に押しやる働きもしつつある。暖衣飽食を今の水準の半分程度に減らせば、まだ、引き返せる状態だと思うのだが、一度味わった快適さの甘い蜜は、一種中毒のようなものなので、多くの人たちは手放さないでしょうね。むしろ、さらに快適さ便利さを競う。
■便利さ、快適さ、イコール幸福、生きる充実感につながっていかないと思うのですが。もっとも、世界には飢餓線上にある何億という人がいて、とにかく「食べて生きる」ことしか考えられない。日本にいると、彼等の姿が見えにくい。BBC放送などは、日々、アフリカなどからのレポートを送っているが、日本のマスコミ、とくにテレビはほとんど伝えていないですね。これは大いに問題です。地球の裏側の出来事が、日本にも直接、間接にひびいてくる時代なのですから。
■日本以上に海外への関心の低い国がアメリカです。地図上で、日本の位置ばかりか、戦争をしているイラクの位置も正確にわからない国民が相当数いる。パスポートをもたない国民の割合も先進国ではダントツに多いとのこと。そんなところからも自国中心主義が生まれているようです。アメリカ的価値観の地球規模での蔓延……これにどうブレーキをかけられるかが、今後の地球規模での課題であろうかと思います。
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