コラム


by katorishu
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昭和30年代ブームというけれど

 5月9日(火)
■大井町の「きゅりあんホール」で映画「三丁目の夕日」を上映するので、わざわざ出かけたのだが、満員で入場できなかった。13時15分から元検事でボランティア活動に詳しい堀田力氏の講演があり、そのあと映画が上映されるということだった。
 この映画、見よう見ようと思いながら見逃していた。この映画で印象的な役割を演じる子役を取材しているので、ぜひ見なければいけなかったのだが。周知のように昨年度の日本映画でいろいろな賞を総なめした映画で、熟年を中心に多くの観客を集めていた。

■「きゅりあんホール」での上映は人権擁護関連の「客寄せ」のようだった。無料ということで、多くの人が足を運んだのだろう。相当数の観客が入れる大ホールのはずだが、満員とは驚いた。映画の人気なのか、あるいは無料というのが効いたのか。
 昭和30年代へのノスタルジーが多くの人にあるのだろう。今と未来があまり明るくないので、過去にさかのぼって「失われたものの」大きさをかみしめようと思うのか。
 過去を振り返って、今を反省することは悪いことではない。

■昭和30年代をぼくは肌で知っているが、ノスタルジーにひたる「中高年」が美点だけを拾いだして「あのころはよかった」と言い立てると「待てよ」といいたくなる。現代が失った良い点も確かにいろいろとあった。が、同時に封建遺制の残滓をひく「いやな面」も数多くあった。酒の強要とか、男女差別ほかの数々の差別、異質・異端を認めない環境……等々、現在の視点から見ると、眉をひそめることも多かった。

■「村社会」の「掟」が暗黙のうちに生きており、日常生活のいろいろなところでブレーキをかけられた。家制度は戦後,GHQによって廃止されたはずであったが、なにしろ戦前の教育を受けた人が人口の大半をしめていたので、そう簡単に変わるわけではなかった。特に日本人の「基層部分」はなお頑固に生き延びた。今も官僚制度や「談合」などで生き残っている。
 戦争中の名残である「隣組」も昭和30年代は残っており、寄り合いなどが行われていた。これは必ずしもマイナス面ではないが、もともと江戸時代の「五人組」などを模範にした「相互監視制度」なので、自由な発想をする人にとっては窮屈なものであったに違いない。

■女性は「家庭に」という意識が強く、就職口は極めてすくなかった。まともな女は外で働くものではなく、家庭をまもって良い子を育てる、つまり「良妻賢母」が美徳とされた。明治生まれのぼくの祖父などあからさまに「女に学問はいらない、邪魔になる」といっていた。決して珍しい意見ではなく、社会の支配的意見だった。社会に出て何かをやりたいと思っている女性にとっては、昭和30年代はあまり良い時代ではなかったと思う。
 かといって、規範がくずれ、モラルも崩壊の一途をたどる今が良い……といえるかというと、うーんとうなってしまう。

■ぼくの見るところ、50歩100歩ではないのだろうか。何事にも光があれば影があるものである。光ばかりとか、良い点ばかり、ということはあり得ない。人にも組織にも、国にもいえることで、光があれば必ず影があるものである。
 禍福はあざなえる縄のごとし、と昔の人はいったが、良いことがあれば必ず悪いことが起こり、悪いことばかりが続くと思っていたら、良いことも起こり……と、多くの人が感じていた。

■最近では、悪いことはずっと続き、すこしも良いことが起こらない、と感じている人が多くなっているようだ。自分が果たして幸福なのか、不幸なのかは、心の問題がからむので、客観的に判定しようもない。それでは現代人は不安なので、判定できる物差しを欲しがる。物である。不動産などもふくめて、「なにをどのくらい持っているか」によって、幸不幸を判断しようとする。マイホームを持ち、マイカーを持ち……と形のあるものによって安心を得ようとする。それも安心を得る方法として悪くはないが、あまり物にこだわると、逆に物にとらわれ縛られることになり、窮屈な人生になってしまう。 
 つまらないことだ。所詮、地上は「仮の宿」程度に思って、ひょうひょうと生きたほうがいいと思うのですが。
   
by katorishu | 2006-05-10 00:09