コラム


by katorishu
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感動の舞台「木の皿」

5月10日(水~
■脚本アーカイブズの委員会のあと、東陽町の江東区文化会館で上演された加藤健一事務所の『木の皿』を見る。エドマンド・モリスの脚本で小田島恒志訳、演出は久世龍之介。
 来週からはじまる地方公演に先立つ「プレ公演」ということで、知り合いの役者の鈴木一功氏が出演しているので見にいった。
 
■主人公ロン(加藤健一)は78歳で心身ともに衰えがきており、食器などをすぐ落として割ってしまうので、食事は木製の食器「木の皿」に盛って出される。それが象徴的なタイトルになっている。次男夫婦と一緒に住んでいるのだが、次男の妻スーザン(大西多摩恵)はその世話をやくことに疲れはてており、老人ホームにロンをいれようという話が出ている。が、ロンは「そんなとこにる入るくらいなら死んだほうがいい」と言い出す。スーザンの夫グレン(鈴木一功)は定職についていなくて、収入もすくない。で、長男をよびよせ老人ホームにいれる費用の肩代わりを頼む。ロン歴戦の勇士であり、は孫娘のスーザン(加藤忍)を何より愛している。夫婦の問題、老いた親の介護の問題、それに男女の恋愛問題がからむ典型的な「ホームドラマ」の骨格を備えている。
 1953年のアメリカテキサスの田舎町という設定になっているが、現代日本にそのまま置き換えても成り立つ物語だ。

■加藤健一事務所は、おもに翻訳ものを中心に独自の舞台空間をつくっており、以前、ここの公演を下北沢で見たことがある。「赤毛もの」にありがちな、どこか違和感の感じられる舞台で、あまり感動しなかったが(たまたま見たものがそうであったのだろうが)。今回の「木に皿」には素直に感動できた。
 現代版チェーホフ劇……といった趣で、なにより脚本がいい。家族一人一人の感情がぶつかりあい、危機的状況に高まるまでの葛藤を、無理なく描いており、さらに「ややほっとする」結末も、ご都合主義のホームドラマのハッピーエンドではなく、余韻の残る終わり方だ。

■終わって一功さんや彼の奥さんで役者のワカちゃんほかと居酒屋で飲み、芝居をつまに雑談。いい芝居を見たあとのビールはうまい。これから6月にかけ、北陸地方を中心に公演するそうで、再び6月半ばに東京にもどり下北沢の本多劇場で東京公演をする。一功氏も健闘していたが、事実上の「主役」は大西多摩恵の演じるスーザンであったと思う。中高年の女性客の多くは彼女に感情移入して見ていたのだろう、すすり泣きがいろいろなところから聞こえた。

■テレビやCMなどにほとんど出ず、とにかくライブの舞台にすべてをかけている加藤健一の「舞台人」としての良さが伝わってくる作品だと思った。日本では芝居だけで生活していくことは至難のワザで、役者たちは生活のためテレビドラマやCMに出るのだが、今のテレビはほとんど稽古をしないのに対して、加藤健一事務所では40日間、1日9時間ほど、みっちり稽古をするそうだ。その成果は舞台にはっきりと出ている。
 テレビドラマだって、稽古をちゃんとやってもっと時間をかけて撮ればいいものができるのだが……費用や役者のスケジュールなどの関係で、ほとんど稽古なしが現実である。映画も最近はそうなっている。そのため、音楽と映像で、ある種の「ごまかし」をやっているのが、現実だ。
 一流作品の舞台に、もっと多くの人が接して欲しいものだ。舞台は、それこそ玉石混淆で、石の部分が多いので「舞台なんて」と思っている人が多いが、「木の皿」や井上ひさし氏脚本の舞台などを見たら、見方がかわる。生の舞台の良さは、ほかでは味わいにくい。
by katorishu | 2006-05-11 15:04