コラム


by katorishu
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

日本文化は日本語にある

5月19日(金)
■例の共謀罪の強行採決だが、本日はとりあえず見送られた。来週に教育基本法などの懸案がひかえている与党側の思惑で、一週間のびただけのようだが。
 野党は頑張って表現の自由、言論の自由をすこしでも狭める恐れのある法案を葬り去るよう頑張って欲しいものだ。

■仕事の関連でベルリンの壁崩壊以前の「東ベルリン」をあつかった本を読んでいる。悪名高いシュタージュ(東ドイツ秘密警察)が支配する社会が、どれほど人と人との信頼をそこない、相互不信を生み、モラル等を荒廃させたか。溜息がでるほどである。
 言論統制国家、官僚(警察等も含む)統制国家は、悪夢の社会である。

■足立区の学びピアで脚本アーカイブズの委員会。最大の障害は「先立つもの」である。これをどうするか。むずかしい問題である。脚本・台本を保存するということには、反対するひとはほとんどいないのだが、「先立つもの」がかかわると、行政も諸団体も腰がひけてくる。地獄の沙汰も金次第というが、これが「現実」というものである。

■仕事の打ち合わせがあるので、早めに辞して渋谷へ。枯れた味わいと独特の語り口の俳優、田村高廣氏が亡くなった。戦前の映画スター阪妻の長男である。某演出家と、ああいう味のある俳優がだんだんいなくなるね、と話したことだった。京都生まれで同志社大学経済学部卒業、いったんサラリーマン生活を送るが、父の死後、役者になった。
 テレビドラマでも独特の味をだしていたが、『泥の河』の演技は出色だった。

■「年配の役者が場をあたえられていない」という点でも、仕事仲間の意見が一致する。「若いことがとにかく価値がある」というのはアメリカ文化の特質である。日本や中国など東洋は、「古く熟したものに価値がある」という文化であったのだが、新興国アメリカは「古さ」では他に対抗できない。そのため、「若さ」を前面に打ち出した。
 そんなアメリカ文化が世界をおおいつつある。これにもっとも抵抗をしめしているのは、イスラム教徒である。日本は政治的、軍事的には完全にアメリカの軍門にくだってしまったといってよいだろう。「日本の文化伝統」を愛すると称する「右」の人たちの多くが「親米」というより「アメリカ迎合」であることは、解せないことである。

■ぼくは食べ物でも伝統的な和食派だし、食事は座卓、畳に布団を敷いて寝る。なにより日本語を大事にしたい。(カネがないので和風の一戸建てには住めないが)。
 差別とか妙な因習は論外だが、先祖が営々と築きあげてきた「伝統文化」や年中行事こそ、日本人の核であるべきだと思っている。(だからといって排外主義が大事などといっているのではない)

■小泉首相の訪米を前に「手みやげ」として、政府はアメリカ産牛肉の輸入を再開するようだが、愚かなことである。ぼくはそもそも牛や豚はあまり食べない。ベジタリアンではないが、穀類主体の食事で、玄米や大豆類、根菜類が主体で、たまに魚類を食べる程度だ。おかげで、60年余りの人生で入院したのは右肘の手術で1日だけ。体重は20歳のころとほぼ同じ62,3キロ。まあ健康な部類にはいるのだろう。
 遺伝的要素もあるが、日本人が伝統的に食べてきたもの主体の食事をとっているからだと思っている。もちろん、人と外であったりしたときは、「今様の食事」もし、ときに「ご馳走」を食べるが。

■アメリカ占領軍の政策もあって、戦前の日本は「悪」というイメージを植え付ける教育をずっと受けてきたという気がする。幸か不幸か育った家が「織物業」で、江戸時代とあまりかわらない「空気」が残っていたので、アメリカ風の「植民地文化」の影響をそれほど強く受けずにすんだ。文化の核は固有の言語にある。日本人なら日本語である。日本語の読み書き能力。これが日本人の基礎中の基礎なのだが、今、これがおろそかになってきている。

■竹中総務相など委員会で、さかんに横文字言葉を連発しており、まともな日本人には理解不可能なことも多い。頭はいいのかもしれないが、このアメリカかぶれめがと思ってしまう。「知力がある」とされている学者などにも横文字を濫用するひとがいる。
 石原都知事なども「右的が発言」が多いひとだが、やたらと横文字言葉を多様する。愛国心をうんぬんする前に、妙な英語をならべずに日本語を愛用してほしいものである。

■ぼくがプロ野球を嫌いになった原因のひとつにアナウンサーが「1点ビハインド」なる面妖な言葉を多様するようになったことがある。「1点差」という言葉を使えといいたくなる。野球はアメリカから輸入されたものなので「1点リード」までは許容範囲だが。「ビハインド」などという言葉を聞くようになったのは、この10年ほどだ。言葉の面でも日々、アメリカの植民地化がすすんでいるようだ。小学校で英語を教えるなど論外である。日本人なら、まず日本語教育を。これは常識中の常識である。
by katorishu | 2006-05-20 01:03