沖縄は「日本ではない」という「うちなんちゅう」の意識
2006年 05月 28日
■本日も雨。今春の東京は雨降りの日が異様に多い。シナリオ塾の講義。
昨日、久しぶりに飲み過ぎてフツカヨイ気味。体調は悪く、脳の働きも弱いと感じてしまう。
昨日は月に一度開かれる放送作家協会の理事会。そのあと、渋谷で昔の「仕事仲間」であり「遊び仲間」であったNHKの解説委員のT氏や、O氏などと久しぶりに会って、ぼくとしては痛飲。
丁度、NHKの人事異動の日であり、今のNHKがかかえている問題なども話題になった。それとは別に共通の友人のK氏が台湾、香港などで従事した「仕事」に関連したことが、ぼくには興味深かった。戦時中の蒋介石がらみの「機密事項」に触れることで、ノンフィクションの素材として面白そうなものだ。以前からO氏を通じて耳にしていたのだが、残念ながら関係者は詳しく話してくれそうにない。
■金曜なので居酒屋は2時間で「ラストオーダー」とのこと。ぼくは遅れていったので、1時間半ほどしかたっていない。みんな飲み足りないし話したりない。共通の友人のH氏の夫人が、新しく沖縄料理屋を開いたはずだとT氏。電話をいれると、まだ店は開いていなかったが、H氏が喜ぶから自宅にきてほしいとのこと。
H氏はロシア関係のコンサルタント会社を経営していたが、3年ほど前、脳梗塞で倒れ、一時は寝たきりで体を動かすこともできなかった。
■お見舞いと激励のため行こうということになり、用賀の自宅までいった。ぼくは彼が倒れてからはじめて会うことになる。以前より劇的に回復しているとのことで、まだ数語しか言葉を発せないものの、こちらのいうことはかなりわかるようだった。歩くのがやっとという状態ながら、握手をした手に力があった。すぐに眠る時間となり、彼は夫人に支えられ寝室にいった。夫人は介護疲れが激しいようだった。夫人とは駅近くで飲んでもろもろ話そうということになった。
■夫人は沖縄出身であり、T氏が昔沖縄に記者として赴任していたこともあって、沖縄のことが話題の中心になった。夫人は以前、沖縄料理店を経営していたこともあり、社交的で酒もじつに強い。2時間強の間に、ビールを中ジョッキに7,8杯飲んだのではないか。
ぼくらが知らない沖縄の「現実」についても、ずいぶん興味深い話を聞いた。夫人は今でも、自分を「日本人」とは思わない、「うちなんちゅう」つまり琉球人であると話していた。アメリカ軍基地の「現実」や戦時中の日本軍のやったこと等々、ときおり激して涙を流すことも。
■話を聞いていて、戦後の日本の繁栄が沖縄の犠牲のもとに成り立っているのだということを、痛感する。沖縄ではないが、宮古島についてT氏が面白い話をした。、テレビの国会中継を日本で一番よく見ている地域は宮古島であるという。はっきり理由はよくわからないが、事実としてそうなのだという。
■夫人の話では沖縄にたまに帰ると、時間の流れがまるでちがうという。ぼくも取材等で沖縄には2回いっているが、ここは「異国」だと思ったことを覚えている。
文化の土台が日本本土とはまるでちがうし、ここは本来「独立国」であるはずである。H夫人は昭和28年の生まれだが、琉球語を話すことができる。ちょっとしゃべってもらったが、まったく内容はわからなかった。彼女は小学校時代、米軍によって頭からDDTをかけられたという。DDTを頭からかけられたのは、「本土」では昭和20年代初期の話である。それが沖縄では30年代後半も同じことが行われていた。
沖縄の「本土復帰」は1972年である。佐藤栄作政権のころで、いろいろと「密約」のあったことが、今になってぽろぽろ出てきている。
■戦後、沖縄は長く米軍の統治下にあり米軍兵士は家族、軍属が多かった。そのため、沖縄の人は英語を話せるという「常識」があるが、じつは沖縄のほとんどの人は英語を話せないという。
夫人は父親が米軍基地で働いていた関係で、高校生のころ、米軍基地内でアルバイトをしたことがあるそうだ。嘉手納基地などによく父親と一緒にいったりしていたのだが、その関連で米軍基地の内情もよく把握しているようだ。
■近くの浜辺にサリンの貯蔵庫があることも、高校生の頃から知っていた。サリンと見られる貯蔵庫の前にはドクロのマークが記されていたとのこと。
最近、夫人が気になるのは、沖縄は物価が安いということもあって、本土から移住してくる人が多いということだという。本土の人間が多数、移ってくることで、地価や物価が上昇し、現地の人たちの暮らしを直撃し、きわめて暮らしにくくなっている。その他、もろもろ、沖縄のことについて、夫人は熱く話した。日頃の「介護疲れ」が少しは解消できたかどうか。
■日頃、日本人は沖縄のことは意識の外にあるが、米軍の普天間移転問題等もふくめ、琉球人意識を深く宿す沖縄人のかかえている苦衷について、もうすこし関心をもつべきだと思ったことだった。
帰宅したのは午前2時すぎ。久しぶりに深夜まで飲んでタクシーで帰宅したことになる。
テレビでは「朝まで生テレビ」を放送しており、テーマは「日本はアメリカの属国か」。参加者が派手な「パフォーマンス」をくりひろげていた。ぼくは依然として、日本はアメリカの属国に近い状態だと思っている。「日米同盟」を論者は口にするが、対等の同盟とはとても思えない。対等の同盟にするには軍事的にも独立しなければ……したがって、改憲が絶対に必要だという論者と、あくまで護憲を主張する社民党、共産党関係者。
双方とも「一理ある」と思える部分がある。同時に双方とも違うなと思える部分もあり、酔眼で見ているうち、そのまま眠ってしまった。