コラム


by katorishu
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今村昌平監督、逝去

5月29日(火)
■今村昌平監督が逝去されたとの知らせを聞いた。『今村昌平伝説』を書いたこともあり、マスコミ等の接触を受け、夕方、テレビ朝日の「スーパーモーニング」のインタビューに応じた。
 今村昌平監督の作品の本質を簡単にいえば「基層社会」を舞台に「性」の問題にとことん取り組んだことである。この問題を徹底したリアリズムで描いた日本でも希有の映像作家といえるだろう。

■カンヌ映画祭で2度もグランプリを受賞した監督で、日本映画史に独自の存在を記す人である。ただ、例えば黒澤明監督や小津安二郎監督に比べると、社会的認知度が低いようだ。
 過日、映画専門学校の新入生に質問をして意外に思ったことがある。黒澤監督と小津監督については8,9割が知っていたが、今村昌平監督となると知っているという人が100人にうち10人にも満たなかったのである。まして今村作品を見た人は皆無。今村昌平監督を知らないで、よく「映画監督を目指します」などといえるなと思ったが、テレビで取り上げる率が低いのが原因なのだろう。

■今村監督は、基層社会、つまり日本の底辺層に視点をあて、人間を昆虫などと同じところにおいて描くという姿勢を一貫して貫いた。それで、美しくないし、おもしろみがないと思うのかどうか。もっと光を当ててしかるべき映像作家だろう。
 今村監督は東京の大塚の開業医の息子であり典型的な都会っ子であるが、東北の農村や沖縄などの「辺境」に興味をもったところが面白い。
 ところが、監督の下地に落語があることは案外知られていない。人間描写の随所にユーモアが漂っているのも、落語の下地があるからこそだと思う。夏目漱石も下地にあるのは落語と漢籍である。『我が輩は猫である』などなど、落語の世界に通じるものがある。
「落語が原点にありますね」と今村監督本人から直接ぼくは聞いた。

■さらに映画が成功するかしないかは、「シナリオにかかっている、7割はシナリオであり、役者が2割、監督など1割だ」と話していた。
 テレビドラマもそうだが、日本の映画界でも、必ずしもシナリオが重視されていない。シナリオ・ライターが、待遇面でも作品評価の面でも、冷遇されていると思う。
 作品の基礎の基礎であるシナリオ、脚本にもっと光をあて、時間的にも金銭的にも力をいれて作品をつくる方式になっていくといいのだが。

■今村監督は最後まで「新宿桜幻想」という作品をつくりたかったようだ。12歳の少年の目から描く遊郭の話である。戦時中と戦後の時期の新宿が舞台であると聞いていた。すでにシナリオは完成し、すぐにでもクランクインしたいようであったが。糖尿という持病と、金銭の問題でゴーとならなかった。それが今村監督にとって、最後まで心残りであったのではないか。

■「にっぽん昆虫記」や「復讐するは我にあり」「赤い殺意」等々、今村監督ならではの独自の映像世界は日本映画史に永遠に残っていくだろう。じっさい、今村監督に触発されて映画界にはったスタッフ数多く、映画関係者を多く育ててことでも、特筆される人だ。ご冥福を祈りたい。
by katorishu | 2006-05-31 01:43