コラム


by katorishu
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映画はやっぱり映画館で

10月8日(金)。
 大型台風が日本列島に接近しているという。猛暑のうえ台風の当たり年で、いろいろなところに深刻な被害がでている。人間が地下資源を使いすぎて二酸化炭素を大気中に過剰に放射したことの影響なのかどうか……。

 新宿で映画企画の打ち合わせ。すでにぼくの手になる企画書ができ、プロデューサーが資金を提供してくれる「投資家」にあたっているとのこと。監督もまじえ日本の映画、テレビの現状について2時間ほど話す。
 これまで映画館にあまり足を運ばない人たちを、どう引きつけ、映画館に足を運ばせるか……。これに成功したら、映画としても大成功となるのだが。ぼくの周辺を見回しても、映画館に足を運んで映画を見るひとは、あまり多くない。テレビやビデオ、DVDなどで見る人は相当の数にのぼるにちがいない。
 しかし、映画はやっぱり暗い映画館の大画面で見てこそ「映画」である。そのために作られている。単に画面が大きく音響が良いばかりではない。
 暗い室内に身を置くことで、日常の「自分」をより多く「消せる」のである。映画館で上映中は基本的に私語をすることもなく、煙草も吸わないし電話もかかってこない。ほかの客が気になることはあっても、ごく自然に画面に意識を投入しやすい。ある種の「魔法の装置」であり、意識が「異空間」に飛んでいるといっていい。

 いい映画、面白い映画であればあるほど、自分を消している。そうして画面の登場人物、とりわけ主人公の気持ちに自分を同化し、主人公の意識と重なりあって作品世界を「生きて」いる。
 日常の生活空間で見るテレビと、この点が根本的にちがう。画面の大小のちがいだけではない。当人がどれほど意識しているかしていないかにかかわりなく、見る側の意識、生理がかなりちがっている。
 ぼくは仕事上の必要から同じ作品を、映画館とビデオなどで、何度か見比べたことがある。双方でうける印象が近いものもあるが、これが同じ映画作品かと思えるほど、受ける印象、感動がちがう。「見る環境」のちがいは案外大きいものである。
 人間は「感情の動物」といわれるように、そもそも情緒的であるし、五感はその場の環境に案外大きく左右される。同じビールでも、飲むときの状況、暑さの中か、寒い戸外か、喉が渇いたときか、水を一杯飲んだあとか……で、味が決定的にちがってしまう。
 映画も同じことである。
 作り手側に身をおく人間の一人として、「本来の環境」で「味わって」欲しいといつも願うのだが、現在の日本ではなかなかそうなっていかない。アメリカなどでは、サラリーマンなどが仕事が終わってから映画館に足を運ぶ習慣が根付いているという。なんでもアメリカを真似る日本人だが、この点ではなぜか真似ようとしない。

 地方には映画館のない地域が多く、なかなか映画館で見ることもできないようだが、かつては地方の町に一つや二つの映画館があったものである。映画館を「殺して」しまったのは、その地域の住民である。有意の人たちが自主上映活動をつづけたり、手作りの映画祭をもよおしたり、地域にも映画の芽をつぶすまいとする動きがあり、ぼくはこういう動きに期待したい。
 「映画などなくたって、何も困りゃしない」という人がいるかもしれない。確かにそうかもしれないが、しかし、この伝でいくと、人間などいなくたって……という論理に行き着いてしまう。
 せっかく人類が発明し発展させてきて「文化装置」である。大事にしたいものだ。
 繰り返すが、映画の「本来の環境」とは「暗い映画館」で見るということである。
 
by katorishu | 2004-10-09 17:25