日本の「最大の危機」
2006年 06月 10日
■乃木坂の「ハートイン乃木坂」で放送作家協会の理事会。選挙で選ばれた新理事をまじえた会議で、理事長、常務理事、各委員長などの選出が行われた。
睡眠不足で午前中、原稿書きしていたこともあり、眼精疲労が激しく疲れた。
やらなければならない仕事がいろいろとあるのだが、気力充実というわけにはいかない。
■夕食後、半分眠りながらテレビを見た。NHKスペシャル「変貌する日米同盟」で、日本がアメリカ軍にますます従属している状況が描かれていた。途中から眠ってしまったので、始まりの20分ほどしか見ていなかったのだが。ついでにハイビジョン特集「尾形光琳・自由と夢幻の魔術師」を見た。
江戸の元禄時代に活躍した日本画家で多彩な才能を発揮した光琳の生涯と創作の秘密に迫る番組で、面白かった。江戸時代が達成した文化の高さ、豊饒さをあらためて実感した。
日本の近代は、こういうものを失うための時間であった、と思いたくなるほどだ。
■風土に根ざした繊細微妙な日本文化は、薩長の下級武士の起こした明治維新や、昭和の軍閥がおこした第二次大戦などによって、根こそぎ壊されてしまったのだなア……とあらためて思った。
戦後、アメリカの占領政策によって、まだ少しは残っていた日本文化の根っ子の部分も、削り取られてしまった、といっていいかと思う。ぼくの子供のころ、技能を体に刻みつけた「職人」がまだ至るところにいて、文化の一角を担っていた。
彼等は戦前の教育を受けた人たちであったが、昭和50年代に徐々に消えてゆき、バブルをへて「失われた10年」の過程で、ほとんど根絶やしにされてしまった。かわって、湖沼に繁殖する雷魚の類の新興成金とこれを賛美する安手の文化が、はびこっている。
■ごく一握りの「伝統文化の継承者」はいるものの、社会の基層をしめているのは、お手軽な「マニュアル」にそって仕事を進める人々であり、体に技能等を刻み込んだ「職人」文化は息も絶え絶えである。
文学などでよく「原体験」というが、人は幼少期の環境が美意識や価値観に決定的な影響をあたえる。四季折々に変化する日本の自然と親しく接して育った経験が背景にあってこその「文化」である。
■コンクリートに塗り固められてしまった都会の過度に人工的な環境からは、光琳クラスの高度な文化、技術は決して生まれない。
和田某という、イタリア画家の技能を「盗作」するような人物は生まれるかもしれないが。国家が彼に芸術選奨を与える時代であり、文化の面では「世も末」という気がする。
■こう記すぼく自身、コンクリートに塗り固められた極めて人工的なところに住んでおり、自然の動植物にほとんど触れることはない。
考えてみれば、今年この手で土や植物をほとんど触っていない。コンクリート等で舗装されていない道に足が触れるのは、品川図書館にいく際、荏原神社横の運河沿いの小道を歩くときぐらいである。
今住んでいる一帯は、昔は海であったところを埋め立てたのだろう、いわゆる「木造一戸建て」はひとつもない。住宅もオフィスも、コンクリート作りである。一見「現代的で」「きれい」には見えるが、こういう環境で幼少期をすごしたら、なにかの感覚が育っていかないだろうな、と思ったことだった。
地方にはまだ豊かな自然が残っているが、最近は地方でも移動に車をつかうことが多く、自然に触れる機会は極端に減っているようだ。運動能力なども、自然環境の豊かな地方の子供より、都会の子供のほうがむしろ優っているという報告を読んだ記憶がある。
地に足をつけて歩くことが少ないからである。
■自然が周囲にあっても、ただ漠然と見ているだけでは、テレビ画面で見ているのと大同小異である。手に触れ汗をかいたりしなかったら、自然に触れたことにはならない。昔の日本人は、立ち居振る舞いの中に自然が生きていたのだが。
都会はもちろん、地方でも、見回せば「アメリカ的」なものばかりだ。グローバリゼーションとは「世界をアメリカ化」することでもある。とくにイスラム教徒が、これに反対しており、最近では南米にぞくぞくと「反米政権」が誕生している。そんな動きに危機感を覚えたアメリカは、日本をまきこんで「アメリカ文化」の防衛に懸命のようだ。
■世界の歴史とは、「大国」「強国」が、独特の風土の中に生まれた民族が長年かけて育んできた文化・伝統を、経済力と軍事力でたたきつぶしてきた過程である。
今、日本文化は怒濤のようなアメリカ化の波浪の中で、根底から破壊されようとしている。これが日本の最大の危機である。